2009/12/24

冬休み

今日から冬休みです。それもあって仕事は結局今日までバタバタです。最後の打ち合わせがこれからあって、午後から休みが始まります。ちょうど2日ほど前からスイスの山間部にかかる小さな橋のコンペをやっています。最初の案がなかなかよく、休暇中もっと発展させるアイデアを考えつつも、いったん仕事モードはお休みです!!


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何気ない風景も、そのときの出来事と一緒になると、大切なものになる。出来事の背景として空間や場所はあるのだと思う。

2009/12/18

個人的なイメージ、パリの装飾

週末パリへ。この街は装飾に溢れている。時にそれは過剰でもあって、目眩がすることもあるが、心地よい部分もある。一年前にも同じようなことを書いたが、そのときと写真の撮り方が変わってきた気がしている。どこかリラックスしていて僕の生活のイメージを重ねながら撮っていることがある。でもそこには生活感は写らないところが僕っぽいのだが。ただ、この写真を共有することに今は意味がある。今はきっとそれを感じ取ってくれる人がいると思っている。






2009/12/17

今日は雪が降っています。1時間ほど前から降り始めて、もうあたりは真っ白。22日に今年最後の打ち合わせがあって、それが終わると冬休みです。

2009/12/05

ナイメーヘン

勝ちました!!!!!!!!!!!

大きなコンペ。一年をかけてやってきたコンペ。300mのアーチ、高架部からなる2.2キロの大きな橋。クリスマスプレゼントです。正式に決まりました。今年は本当にいろいろあったけど、いい年の瀬を迎えられそう。いつか振り返って今年は大きなターニングポイントの重要な年になると思います。

とにかくSuper!!
最高の一年です!!!!!!!!
すべてはいい方向に動き出すんですね!!!!!

2009/11/26

Valerio Olgiati 

今日は、招待されていたValerio Olgiatiの講演会に行ってきたBozarの大ホールに溢れるほどの多くの人が詰めかけていた。以前ベルギーの若手建築家の講演会に行ったときもそうだったが、この小さな街でこれだけ人が集まるんだというほどの人が、この種の講演会に集まる。開始時刻が20時と遅めというのもあると思う。
印象に残ったことは、彼の作品が非常に個人的な感覚を起点として出発しているということ、個人的な感覚で捉えたひとつひとつはごく普通だが、執拗なまでに突き詰めていた結果のかたちが独特の雰囲気を醸し出しているということ。個人的な感覚で選び取ったことは、誰もが持っている、もしくは感じることができるようなものであるため、結果としてのかたちは個人的なものでありながら、共有されうるものになり得る。

また、コンテクストから独立したオブジェとしての建築(かたち)の存在させ方には非常に共感をした。そうすることでものすごく純粋なかたちとして存在させることができる。しかしこのことによって見る側はそこに多義的な意味を見いだすことができるのだと思う。

かたちは、必ずしもコンテクストやコンセプトといった概念的なものからスタートしなくてもいいし、結果存在したかたちはそれを感じることで共有されていくのだとしたら、個人的な感覚を起点にし、それをそのままかたちにして行く方法もあるのだろう。

床の素材の連続や扉の開閉、部屋と部屋の接続の違いといったことが人に生じさせる感覚をたよりにし、その感覚が必要となる場所に、その感覚を創り出す適切でより純粋なかたちを生み出す。

建築、かたちが何に存在理由を求めるのか。それは時代によっても異なってきた。Valerio Olgiatiの作品ようなかたちが、一般の人にとっても共有可能な感覚をもったものだとしたら、
多義的な行為を生み出すのだとしたら、かたちはコンテクストや機能といったものから解放され、より純粋なものになり得るのかも知れない。コンテクストに沿わせることの意味とは、歴史的に共有されてきたものを踏まえることに目的があるのではなく、そのことによって建築、かたちが人々に共有されることに目的があるのである。機能も同様に使う人に共有されるのであるならば、必ずしも一定の機能と空間を対応させる必要はない。

個人的な感覚を起点にすること、コンテクストによらないかたちの存在させ方、挑発的な言葉が並んだが、実は共有されることに目的がある。

かたち、共有されるということ、ベルギーに来てから僕の頭の中を流れているこの言葉のヒントのひとつが今日見つかったことが何よりの収穫。

講演会後、ボスと食事に出かける。ベルギーの田舎料理を食べる。
コンペに関していいニュースあり、上機嫌での食事のひとときだった。






2009/11/20

展覧会

昨日ボスと打ち合わせ。アイデアが広がる。

前回書いた内容にプラス、彫刻を並べるように、抽象的な形の大きな模型をちりばめるアイデア。橋は機能が建築に比べて単純だ。最低限必要なのは、渡るというシンプルな機能。(もちろんそれ以外の機能を考える方法もあるが)それが故に純粋なオブジェになり得る。力学に向き合うことは、自然もしくは宇宙と向き合うことでもある。力学をベースに新しいかたちを探求した結果できたかたちの模型は、きっとそんなことも感じられると思う。同時にひとりの人間の思考の結果でもあるわけだから、人間らしさも垣間見れるはずだ。このことをうまく感じられる展示方法、模型の抽象化を考えようと思う。

BOZARでの展示は、よりアート(いろいろな意味を含むため非常に難しい言葉でもあるけど)に、もしくはより共有されるものにできたらいいと思っている。

土木の記事

解決のヒントを領域・分野の外に求めるということをよく耳にする。ただちょっと違和感を感じる。僕は、実はヒントは誰もが持っている、ごく当たり前の身近な感覚にあると思っている。外に求めなくても実は持っているものだと思う。共有されるデザインにはこの感覚が必要だと思っている。「解決のヒントは土木の分野の外にある」という、とある土木の記事を読んでいて感じた。

2009/11/16

週末

久しぶりに晴れた。
このところブリュッセルの典型的な曇りがちな天気が続いていた。青空がでて晴れ上がると、この街はとても気持ちがいい。奥まった路地がうっすら照らされ、石畳やオーナメントの陰影がはっきりするからだと思う。

小さな街だけど、こんな日の散歩は、入り組んだ路地をちょっと入ったところで、小さなカフェ、レストランなど新しいものが見つかる。金曜日に展示構成のアイデアがまとまったため、この週末は仕事の頭をストップして過ごせた。特に何をするわけでもなく過ごしたのだけれど、最近はそんな休日が心地よく感じる。

展示構成のアイデアはというと、特徴的な空間的な指向を持った構成は行わず、オーソドックスな構成を基本としつつ、順路を設けないヒエラルキーを持たない構成とし、自由に好きなように見てもらうようなものになるといいと考えている。展覧会場を自由に歩き回りながら、スケールや素材、力学を実際にリアルに感じてもらえたらと考えている。そのための最低限のしつらえ(視線のコントロール)を用意しようと思っている。

同時に書籍も出版されるため、書籍と展覧会の棲み分けも考えて、同様の内容を扱いつつも見せ方を全く変えてそれぞれの特性を活かすよう方向付けを行うつもりだ。書籍と展覧会ともに合わせることですべてを知ることができるようなことがいいと考えている。

今月はこのアイデアを発展させて月末の打ち合わせに臨もうと思う。









2009/11/07

もうすっかり秋。今年も寒い。ちょうど締め切り2つを終えてちょっと一息。最近の休日時間があるときは、ブリュッセルを散歩することと、家で絵を描くことが多い。絵はイラストに近いけれど、非常に個人的なもので仕事とは全く違った思考で描いている。いつもとちょっとだけ違ったことをすると新しく気がつくことが多い。木の形や、木の葉の色、質感、こもれびの光、そんなものが頭の中を巡っている。イラストのアイデアはそんなところからやってくる。



2009/10/28

展覧会

いよいよ本格的に作業を始める。来春のBozarでの展覧会。スペースは申し分なく、十分すぎるほどある。この事務所の思考、デザインプロセスを感じてもらえる仕掛けを考えている。出版と合わせて、クリスマスまでにおおむねすべてを決めるスケジュール。恐ろしい数からの図版の選択、アニメーションの準備、撮影(ディテールカット)、3Dプリント用のデータの用意、展示構成のアイデアなど、かなりの作業を急ピッチで詰めていかなければならない。それが終われば、冬休み!!

2009/10/26

ブリュッセルのこと

コンパクトで小さな街。なんでも揃うわけではなく、バスやトラムは時間通りに来ない。仕事でも東京のように物事が迅速に動くことはまずない。どちらかと言えば不便。その分、時間はゆっくりと流れている。ほんの数年前まで海外に住むなんてこと考えもしなかった僕が、この街に住んでもう一年が経つ。ヨーロッパで働き、ヨーロッパのごく普通の日常に触れて一年。ブリュッセルの時間の流れが心地よく感じるようになってきている。10月の東京はめまぐるしすぎるようにさえ感じた。熊本ではなんだか今の僕の身体感覚に馴染んだ時間が流れていた。なんだかここで生活は、日本の地方都市で生活している感覚に近いのかも知れない。



2009/10/21

ローラン・ネイ講演会、共有されること


先日東京、熊本で行われたローラン・ネイ講演会。東京の様子は佐々木葉先生の研究室のブログにも書いていただいているのでこちらも見てもらえればと思います。http://yohlab.exblog.jp/

ここでは僕なりに考えていたことを少し書こうと思います。講演会は昨年と異なっている部分が大きく一つあります。今ヨーロッパで建築を中心に盛んなパラメトリックデザインを使ったプロジェクトが含まれていたことです。(熊本では時間の関係で紹介できませんでした)「かたち」を変数を使って定義したり、ある種のアルゴリズムを使って形態を生成させる手法です。これらはそのまま構造解析にも有効で、デザインと構造解析がシームレスに繋がっていく可能性が生まれようとしています。非常に魅力的で新しい可能性を含んではいますが、危険な部分もあります。今回日本への渡航中、ローランとも話していたのですが、あくまでツールの一つとして有効に使わないと、単なる奇抜な形を生み出す手法に成り下がってしまう可能性をはらんでいます。

彼はあくまでも力学をベースにした合理的な「かたち」を追求します。その過程において新しい技術や手法が、これまでと違った地平を見せてくれると考えていると思います。つまり見たこともない「かたち」に興味があるのではなく、現代のツールを使った今の時代における表現でありながら、合理的かつ容易に建設可能な「かたち」を求めているのだと思います。特に橋梁や広場、駅など公共の場所でのデザインでは、非常に明確で論理的な説明が必要となりますし、もちろん税金を使う以上コストも重要となります。そのため、この事務所のプロジェクトは、意匠、構造、施工すべてのプロセスを論理的に説明可能でなくてはならず、意匠的に新しい考え方、構造的に新しい考え方、新しい施工方法といった局所的な革新を中心に据えるのではなく、全体でのバランスを保ちつつ新しい地平を探していきます。このバランス感覚をトータルでみるために、エンジニアのみではなく、建築家、3Dモデラー、ドラフトマンなど設計プロセスの各セクションで必要となる人材を事務所で抱えているのです。また、プロセスを共有し合意していくことに主眼を置いて、プロジェクトのストーリーが組み立てられています。(それがゆえ、講演会の後に多くの方の共感を得られるのだと思います。)特に長大橋のような巨大なスケール規模のプロジェクトでは、多くの人が関わる同時に、多くの人に対しての説明責任も求められます。特にヨーロッパは住民運動が盛んなため、この辺りはかなりシビアです。

どのプロジェクトも単に奇抜な、新しい「かたち」ではないのです。ベースにあるのは力学の法則からくる「かたち」があり、それが時にクノッケ歩道橋やアントワープ北口歩道橋のような形で変化していき、新たな方向が生まれてくるのだと思います。大きな突然変異のジャンプではなく、過去からの連続の中から生まれる漸次的な変異なのだと思います。

いま世界中で奇抜な、みたこともかたちを生み出しつつあるパラメトリックデザイン。新しい空間概念はそこにあるのかも知れないですが、同時に僕たちの仕事は日常をつくる仕事でもあります。そのため共有されること、このことがこの事務所の核にあるのだと思います。「かたち」の思考と共有されるためのプロセス。そんなことが今回の日本で僕の中でしっくりとはまりました。共有されること共有すること、あらためてこのことが僕の中に戻ってきたことが、非常に大きな収穫でした。





2009/10/18

住民運動?

昨日、アントワープに行ってきた。ご存じファッションの街。
よく考えたら僕とベルギーの接点はラフシモンズに始まる。ちょうど僕が大学生の頃アントワープ6とか王立アカデミー出身のデザイナーが世界で脚光を浴び始めた。以来僕はこの国のファッションデザインが好きなのである。非常にラインのきれいな洋服が多く、デザインのバリエーション、実験的な洋服も多い。ちょっとしたディテールにひねりがきいているのも好きなところではある。縫い合わせが変わっていたり、襟の形を微妙に変化させていたり。毎回この街でそんな洋服をチョイスする。とはいえ、小さな街、東京ほど何でも揃うわけではなく、こまめに通ってやっと気に入るものに出会う感じ。

アントワープは、いつも行くと立ち寄る場所は決まっている。モード美術館、prince、roius、copyrightの4カ所は必ず行く。モード美術館はDelvauxの歴史に関する展示。ここの展示は密度が濃く、空間演出自体は案外雑だけれど内容はしっかりとしていておもしろいものが多い。老舗ブランドの180年の歴史を楽しんだ。特に、おもしろかったのは時代ごとのバックが展示してあるところで、その時代の流れが見て取れて楽しい。写真(下)は初期(1950年頃)のもので、僕はこれが一番きれいだと思った。





今回は、ブーラ劇場にも立ち寄る。18世紀いわゆる新古典主義の建物。普遍的なお手本を求め、近代化前のギリシャ・ローマ建築への回帰を目指した流れの中でできた建物である。形式を重視した建物であるため表層的というか装飾的な部分はあるけれども、バロック建築ほどコッテリしておらず、この時代の建築で好きなものは多い。デートの演出にはぴったりなのである。モダニズムが失った部分なのだと思う。この建物はダンスや演劇が中心の劇場。2階にDe foyerというカフェがあってここも雰囲気がとってもいい。いつか劇を見た後ここで食事をしたい。http://www.defoyer.be/



偶然アントワープ環状線反対運動に出くわす。都市部での高架橋に対する反対運動。郊外にトンネルを作って迂回させるルートを対案として提示することで、政府に訴えかけているよう。その住民投票を翌日に行うようだ。こういった運動は好感を持てるし、こういったことに関心があるのはいいことだと思う。ショッピングモール内の一角にこの運動のPRスペースがあってそこでいろいろな資料を見せてくれたり、解説をしてくれたりする。僕も中で説明をしてもらった。ただ、この運動どうも政治的な雰囲気が漂う。現案に対して対案を比較する構図。現案のデメリットに対して対案のメリットを示す。その対案を提示しているコンサルタント、建築家、建設会社の思惑が見え隠れしている。しかもトンネル案の試算金額がどうも怪しい。単純に街にとって何がよいかを考えるということに加えてどうもそれ以外の利害関係が関係している気がする。説明を聞いていて感じたし、選挙運動のようなグラフィックからも感じられる。アントワープの象徴、ブラボー像が巨人の手の代わりに高架橋を投げているTシャツとか。(わかりやすいけれど、僕はあまり好きになれない手法ではある。)アンチを唱えることは容易なのである。むしろ重要なのは対話をしていくことで、アンチでは無い気がする。フラマン政府に対する反対でもあるのだが、僕は見ていてフラマン政府は芸術文化デザインに関して理解があるほうだと思うし、この国の公共デザインの優れた部分はフラマン語圏に多いのはこのことがあるように思う。フラマン政府なりの主張もあるはずだ。この部分を欠いた投票というのはどうもフェアじゃない。この反対運動、詳細な経緯はわかりかねるが、僕は単純にどっちがよくてどっちが悪いということでは無いように思う。僕の事務所の関わるプロジェクトなこともあり、今後を見守っていきたい。







2009/10/17

バーゼル

夏の写真。街角のパブリックスペース。
お金を使わずに、何かを禁止されるわけでもなく、ゆっくりできる場所。旅行をしていると特にこういった場所が大切なことに気がつく。日常の場所だと自宅と目的の場所というように、無目的の場所に行くことが少ないからだと思う。自分の居場所がしっかりとある。でも旅行はしっかりとした自分の居場所はない。そのときにただゆっくり過ごせる場所が欲しくなる。僕の旅行は、漠然とした目的以外決めていないことが多いから、何となく街を歩くことが多い。思いがけない出会いあって楽しいのと、時間を考えずにすむからだ。そんなときに何気ないこういう空間に気がつく。







2009/10/16

祐天寺

今回の東京。少しだけ時間があって、祐天寺へ。5年住んだ街。
おいしい中華料理があり、お蕎麦屋、もつ焼屋、行きつけの酒屋さんがある。なにかといつもお世話になっている家具屋柿八さんもここにある。大切な友人もたくさんこの近くに住んでいる。東京によった際、時間があるときにはこの街に立ち寄ることにしている。

地名にもなっているお寺、祐天寺。大きな桜の木が境内にあり、春には桜が満開、小さいけれど心地のいい場所。
東京で自分の風景として捉えられるのは、この界隈だ。人は時間をかけて風景を共有し、自分のものとしていく。
場所、人、時間が揃って風景は自分のものになるような気がする。





自分の生まれた場所以外では、仙台、祐天寺があり、少しそんな感覚をブリュッセル、熊本にも感じ始めている。
何でもすべて揃う便利な場所よりも、そんな場所を大切にしたいし、そういう場所に関わる仕事をしていきたい。大都市でなくても、僕が心地よさを感じる小さな場所をつないでいくことでできることがあるのかもしれない。僕は、いつも人に出会って、場所に出会って、少しずつ前に進んでいる。

2009/10/15

オランダ

今日はコンペの敷地へ。今回はオランダ、ズーテメール。デルフト近郊の小さな街。フラットな風景の中に何をつくるのか。
敷地はゴルフ場も含んだ大きな公園。小さな鉄道を跨ぐ歩道橋。市街近郊のレクレーションの場といった感じ。オランダはやっぱりランドスケープがうまい。管理されていることを感じさせない手の入れ方。全くの自然ではなく、心地よく起伏や視界をコントロールすることで、この風景をつくっている。ひとつひとつの曲線が心地いいのだ。ひとつひとつの線は人がひいたものなのだが、このひき方で風景は変わってくる。



2009/10/14

石橋、共有すること、意志

9日、ローラン・ネイ講演会翌日。
ローランと2人、早朝、緑川流域石橋群を見にタクシーで。この地域の急峻な地形がすばらしい。棚田が連続する風景の中に、ひんやりと流れる河川。深い緑に包まれながら石橋はひっそりと、でも確固とした存在感を持って存在する。そこには僕がスイスの山間部で感じたものに通じるものが見え隠れするが、自然の色彩は全く違う。ここではすべてが深く力強い。2人で一つ一つ地図を見ながら見ていく。100年以上の昔のトップクラスのエンジニア、職人の建造物を、現代のトップクラスのエンジニアの視点に触れながらまわる。非常に贅沢な時間だった。




時を経ても伝わるもの。橋ひとつひとつ、石積みひとつひとつ、きっとそこには意味がありドラマがある。100年以上たって僕らはそれらの前に立っているのである。僕らの時代に数百年たった後、これらと肩を並べることができるものがあるだろうか。意志を持つこと、プライド。常日頃からローランの言葉にも混じるこの言葉。現代のエンジニア、デザイナーとして僕らができること、その責任。そういったものを考えながらの4時間。

僕はこういったことを人に伝え、人と共有していくことがデザイナーとしての役目だと思っている。ローランがもっとも重要視するのはプロセスだという、共有されるためのプロセス。毎回講演をするたびに聴講者の共感を得ることができるのは、彼がこのことを大切にしているからだと思う。プレゼンテーション、もしくは彼のプロジェクトは共有されることに主眼が置かれている。エンジニアとして、百年以上残るものに携わる人間として。

あらためて、人と何かを共有することの大切さを感じれた熊本。
僕はこの街が好きになりそうです。



2009/09/24

ローラン・ネイ講演会 東京

ローランネイ講演会「Freedom of form finding」
第2弾は東京です。

日時 2009年10月6日(火) 18時00分ー20時00分
場所 早稲田大学西早稲田キャンパス(旧大久保キャンパス)55号館S棟2F第3会議室
主催 早稲田大学景観デザイン研究室
企画  TOKYO DOBOKU SOCIETY / Ney&Partners
お問い合わせ 03-5286-3989(早稲田大学景観デザイン研究室)
参加費 無料

ものには「かたち」がある。「かたち」には成り立たせるための仕組みがある。美しいかたちは美しい曲線を持ち、自然な力の流れを創りだす。また、美しいかたちは美しい幾何学によって構成される。かたちと力、かたちと幾何学、これらは密接に係わり合いひとつのオブジェクトを生み出す。ある種のかたちが創り出す新しい力の流れを探しつつ、同時に美しいものをピックアップするというアプローチによって、この事務所の作品はできている。

会場の地図は下記です。
http://www.waseda.jp/jp/campus/okubo.html

2009/09/16

言葉


”かたち”とは思考の結晶であるがゆえ共有されうるものであるが、実は非常に個人的なものでもある。

僕のこの一年で得たものは、ふと頭に浮かんだこの1行に凝縮されている。

2009/09/11

10月の講演会

今年もローラン・ネイ講演会を日本で行います。
第一弾は熊本です。
タイトルは、Freedom of form finding ver2.0。
昨年の内容のバージョンアップ版です。まだ詳しくはかけませんが、新しく加えられるプロジェクトが興味深いはずです。彼自身の思考が、今年の初めに取り組んだプロジェクトを経てよりクリアになってきています。

日時 2009年10月7日 16時10分ー17時40分
場所 熊本大学工学部百周年記念館
主催 熊本大学工学部社会環境工学科景観デザイン研究室

この模様はいずれここにも書きますが、
僕個人として注目は、かたちと力の関係の新しい解釈です。
これまで構造の世界では、力学的に合理的>美しいかたちという方向が一般的です。しかし、ある種のかたちが創り出す新しい力の流れを探し、その中で美しいものをピックアップするというアプローチによってこの事務所の作品はできています。そこでは、力学が絶対的に支配する世界において、感覚的な部分が入る余地が生まれるのです。つまり「かたち>新しい力の流れ>美しいかたちへ」という方向です。微細だけれども決定的な違いがそこにはあります。まだ、日本語でうまく言語化できていませんが、このことが講演で紹介されるはずです。

一方で、非常に明解で論理的なプロジェクトごとの戦略の立て方、プレゼンテーションも合わせて紹介されるので、なぜコンペに勝てるのか、こういったユニークな橋梁においてクライアントの理解が得られるのか、そういったことも垣間見れるはずです。聞き終わる頃には、自然となぜこのようなプロジェクトが可能になったかが理解できると思います。昨年の講演会もそういった感想を多くの方から聞きました。

すべて英語ではありますが、アニメーションなどビジュアル的な解説が中心なので、言葉を超えて理解できると思います。
日本向けに、これ以外にもこれからいろいろ準備して、少しずつ実現させていくつもりです。

2009/09/10

さあ、コンペ

フランスのダンケルクという場所のコンペに参加します。
おととい、敷地を見に行きました。第二次大戦で破壊された町で、今ある建物のほとんどは戦後のもののようです。ちょうど今街を再開発しようとしているので、この一環で架かる100mほどの橋梁のコンペです。

写真は北海。風がすごかったけど、いい雰囲気。
うまく手を入れていけば魅力ある場所になると思います。
今回のコンペ、チャンスはあります。でも締め切りまで2週間。
さあ、どう組み立てよう。





風で砂がまって本当にこんな色。海も淡い色。

2009/09/05

ダボス

チューリッヒから2時間、ダボスに到着。高原のリゾート地。
空気がひんやりと心地いい。光の感じからだろうか、緑の色も街の色もすべてがひんやりと淡く見える。
ダボスには3日間の滞在。キルヒナー美術館などいくつかみたい建築があったからここに行くことにしたのだが、よかったのはダボスを含むスイスの山間部の風景だった。




ここで感じたのは建物よりも自然の色がとても淡く心地よかったことと、山間部の鉄道や道路などインフラがしっかりとデザインされていること。今回乗ったベルニーナ急行はまさにその最たるもので、標高差2000メートル近くを山間部を抜け走っており、数百のトンネルや高架橋によってできている。氷河のある風景から、イタリア北部の明るい風景までを3時間ほどでゆっくりと走る。淡く緑がかかった氷河の雪解け水。日差しは強いけれど淡い空の色。様々な色に出会える。




鉄道を途中下車すれば、自然がそのままそこにある。無数のトレッキングコースがあり、柵などはなく、必要最低限の案内があるのみ。自分で安全を考えながら歩く。全くの自然ではないが、必要最低限の人工物があることで自然と人の風景がちょうどバランスよく調和している。最低限のインフラがしっかりとデザインされている。




インフラの重要さをしっかりと理解しているのは鉄道のなかで流れるアナウンスからも感じられる。ポイントとなる高架橋やトンネルについて、エンジニアがつくったものであることをしっかりと解説している。こういったことが共有されていることは本当にすごいと思う。よくスイス人は、学生でも文字の扱いやデザインの基礎がしっかり身についていると聞くことがあるけれど、そのわけが少しわかった気がした。頭で理解するのではなく、感覚として入ってくるものがここにはある気がする。