2009/10/28

展覧会

いよいよ本格的に作業を始める。来春のBozarでの展覧会。スペースは申し分なく、十分すぎるほどある。この事務所の思考、デザインプロセスを感じてもらえる仕掛けを考えている。出版と合わせて、クリスマスまでにおおむねすべてを決めるスケジュール。恐ろしい数からの図版の選択、アニメーションの準備、撮影(ディテールカット)、3Dプリント用のデータの用意、展示構成のアイデアなど、かなりの作業を急ピッチで詰めていかなければならない。それが終われば、冬休み!!

2009/10/26

ブリュッセルのこと

コンパクトで小さな街。なんでも揃うわけではなく、バスやトラムは時間通りに来ない。仕事でも東京のように物事が迅速に動くことはまずない。どちらかと言えば不便。その分、時間はゆっくりと流れている。ほんの数年前まで海外に住むなんてこと考えもしなかった僕が、この街に住んでもう一年が経つ。ヨーロッパで働き、ヨーロッパのごく普通の日常に触れて一年。ブリュッセルの時間の流れが心地よく感じるようになってきている。10月の東京はめまぐるしすぎるようにさえ感じた。熊本ではなんだか今の僕の身体感覚に馴染んだ時間が流れていた。なんだかここで生活は、日本の地方都市で生活している感覚に近いのかも知れない。



2009/10/21

ローラン・ネイ講演会、共有されること


先日東京、熊本で行われたローラン・ネイ講演会。東京の様子は佐々木葉先生の研究室のブログにも書いていただいているのでこちらも見てもらえればと思います。http://yohlab.exblog.jp/

ここでは僕なりに考えていたことを少し書こうと思います。講演会は昨年と異なっている部分が大きく一つあります。今ヨーロッパで建築を中心に盛んなパラメトリックデザインを使ったプロジェクトが含まれていたことです。(熊本では時間の関係で紹介できませんでした)「かたち」を変数を使って定義したり、ある種のアルゴリズムを使って形態を生成させる手法です。これらはそのまま構造解析にも有効で、デザインと構造解析がシームレスに繋がっていく可能性が生まれようとしています。非常に魅力的で新しい可能性を含んではいますが、危険な部分もあります。今回日本への渡航中、ローランとも話していたのですが、あくまでツールの一つとして有効に使わないと、単なる奇抜な形を生み出す手法に成り下がってしまう可能性をはらんでいます。

彼はあくまでも力学をベースにした合理的な「かたち」を追求します。その過程において新しい技術や手法が、これまでと違った地平を見せてくれると考えていると思います。つまり見たこともない「かたち」に興味があるのではなく、現代のツールを使った今の時代における表現でありながら、合理的かつ容易に建設可能な「かたち」を求めているのだと思います。特に橋梁や広場、駅など公共の場所でのデザインでは、非常に明確で論理的な説明が必要となりますし、もちろん税金を使う以上コストも重要となります。そのため、この事務所のプロジェクトは、意匠、構造、施工すべてのプロセスを論理的に説明可能でなくてはならず、意匠的に新しい考え方、構造的に新しい考え方、新しい施工方法といった局所的な革新を中心に据えるのではなく、全体でのバランスを保ちつつ新しい地平を探していきます。このバランス感覚をトータルでみるために、エンジニアのみではなく、建築家、3Dモデラー、ドラフトマンなど設計プロセスの各セクションで必要となる人材を事務所で抱えているのです。また、プロセスを共有し合意していくことに主眼を置いて、プロジェクトのストーリーが組み立てられています。(それがゆえ、講演会の後に多くの方の共感を得られるのだと思います。)特に長大橋のような巨大なスケール規模のプロジェクトでは、多くの人が関わる同時に、多くの人に対しての説明責任も求められます。特にヨーロッパは住民運動が盛んなため、この辺りはかなりシビアです。

どのプロジェクトも単に奇抜な、新しい「かたち」ではないのです。ベースにあるのは力学の法則からくる「かたち」があり、それが時にクノッケ歩道橋やアントワープ北口歩道橋のような形で変化していき、新たな方向が生まれてくるのだと思います。大きな突然変異のジャンプではなく、過去からの連続の中から生まれる漸次的な変異なのだと思います。

いま世界中で奇抜な、みたこともかたちを生み出しつつあるパラメトリックデザイン。新しい空間概念はそこにあるのかも知れないですが、同時に僕たちの仕事は日常をつくる仕事でもあります。そのため共有されること、このことがこの事務所の核にあるのだと思います。「かたち」の思考と共有されるためのプロセス。そんなことが今回の日本で僕の中でしっくりとはまりました。共有されること共有すること、あらためてこのことが僕の中に戻ってきたことが、非常に大きな収穫でした。





2009/10/18

住民運動?

昨日、アントワープに行ってきた。ご存じファッションの街。
よく考えたら僕とベルギーの接点はラフシモンズに始まる。ちょうど僕が大学生の頃アントワープ6とか王立アカデミー出身のデザイナーが世界で脚光を浴び始めた。以来僕はこの国のファッションデザインが好きなのである。非常にラインのきれいな洋服が多く、デザインのバリエーション、実験的な洋服も多い。ちょっとしたディテールにひねりがきいているのも好きなところではある。縫い合わせが変わっていたり、襟の形を微妙に変化させていたり。毎回この街でそんな洋服をチョイスする。とはいえ、小さな街、東京ほど何でも揃うわけではなく、こまめに通ってやっと気に入るものに出会う感じ。

アントワープは、いつも行くと立ち寄る場所は決まっている。モード美術館、prince、roius、copyrightの4カ所は必ず行く。モード美術館はDelvauxの歴史に関する展示。ここの展示は密度が濃く、空間演出自体は案外雑だけれど内容はしっかりとしていておもしろいものが多い。老舗ブランドの180年の歴史を楽しんだ。特に、おもしろかったのは時代ごとのバックが展示してあるところで、その時代の流れが見て取れて楽しい。写真(下)は初期(1950年頃)のもので、僕はこれが一番きれいだと思った。





今回は、ブーラ劇場にも立ち寄る。18世紀いわゆる新古典主義の建物。普遍的なお手本を求め、近代化前のギリシャ・ローマ建築への回帰を目指した流れの中でできた建物である。形式を重視した建物であるため表層的というか装飾的な部分はあるけれども、バロック建築ほどコッテリしておらず、この時代の建築で好きなものは多い。デートの演出にはぴったりなのである。モダニズムが失った部分なのだと思う。この建物はダンスや演劇が中心の劇場。2階にDe foyerというカフェがあってここも雰囲気がとってもいい。いつか劇を見た後ここで食事をしたい。http://www.defoyer.be/



偶然アントワープ環状線反対運動に出くわす。都市部での高架橋に対する反対運動。郊外にトンネルを作って迂回させるルートを対案として提示することで、政府に訴えかけているよう。その住民投票を翌日に行うようだ。こういった運動は好感を持てるし、こういったことに関心があるのはいいことだと思う。ショッピングモール内の一角にこの運動のPRスペースがあってそこでいろいろな資料を見せてくれたり、解説をしてくれたりする。僕も中で説明をしてもらった。ただ、この運動どうも政治的な雰囲気が漂う。現案に対して対案を比較する構図。現案のデメリットに対して対案のメリットを示す。その対案を提示しているコンサルタント、建築家、建設会社の思惑が見え隠れしている。しかもトンネル案の試算金額がどうも怪しい。単純に街にとって何がよいかを考えるということに加えてどうもそれ以外の利害関係が関係している気がする。説明を聞いていて感じたし、選挙運動のようなグラフィックからも感じられる。アントワープの象徴、ブラボー像が巨人の手の代わりに高架橋を投げているTシャツとか。(わかりやすいけれど、僕はあまり好きになれない手法ではある。)アンチを唱えることは容易なのである。むしろ重要なのは対話をしていくことで、アンチでは無い気がする。フラマン政府に対する反対でもあるのだが、僕は見ていてフラマン政府は芸術文化デザインに関して理解があるほうだと思うし、この国の公共デザインの優れた部分はフラマン語圏に多いのはこのことがあるように思う。フラマン政府なりの主張もあるはずだ。この部分を欠いた投票というのはどうもフェアじゃない。この反対運動、詳細な経緯はわかりかねるが、僕は単純にどっちがよくてどっちが悪いということでは無いように思う。僕の事務所の関わるプロジェクトなこともあり、今後を見守っていきたい。







2009/10/17

バーゼル

夏の写真。街角のパブリックスペース。
お金を使わずに、何かを禁止されるわけでもなく、ゆっくりできる場所。旅行をしていると特にこういった場所が大切なことに気がつく。日常の場所だと自宅と目的の場所というように、無目的の場所に行くことが少ないからだと思う。自分の居場所がしっかりとある。でも旅行はしっかりとした自分の居場所はない。そのときにただゆっくり過ごせる場所が欲しくなる。僕の旅行は、漠然とした目的以外決めていないことが多いから、何となく街を歩くことが多い。思いがけない出会いあって楽しいのと、時間を考えずにすむからだ。そんなときに何気ないこういう空間に気がつく。







2009/10/16

祐天寺

今回の東京。少しだけ時間があって、祐天寺へ。5年住んだ街。
おいしい中華料理があり、お蕎麦屋、もつ焼屋、行きつけの酒屋さんがある。なにかといつもお世話になっている家具屋柿八さんもここにある。大切な友人もたくさんこの近くに住んでいる。東京によった際、時間があるときにはこの街に立ち寄ることにしている。

地名にもなっているお寺、祐天寺。大きな桜の木が境内にあり、春には桜が満開、小さいけれど心地のいい場所。
東京で自分の風景として捉えられるのは、この界隈だ。人は時間をかけて風景を共有し、自分のものとしていく。
場所、人、時間が揃って風景は自分のものになるような気がする。





自分の生まれた場所以外では、仙台、祐天寺があり、少しそんな感覚をブリュッセル、熊本にも感じ始めている。
何でもすべて揃う便利な場所よりも、そんな場所を大切にしたいし、そういう場所に関わる仕事をしていきたい。大都市でなくても、僕が心地よさを感じる小さな場所をつないでいくことでできることがあるのかもしれない。僕は、いつも人に出会って、場所に出会って、少しずつ前に進んでいる。

2009/10/15

オランダ

今日はコンペの敷地へ。今回はオランダ、ズーテメール。デルフト近郊の小さな街。フラットな風景の中に何をつくるのか。
敷地はゴルフ場も含んだ大きな公園。小さな鉄道を跨ぐ歩道橋。市街近郊のレクレーションの場といった感じ。オランダはやっぱりランドスケープがうまい。管理されていることを感じさせない手の入れ方。全くの自然ではなく、心地よく起伏や視界をコントロールすることで、この風景をつくっている。ひとつひとつの曲線が心地いいのだ。ひとつひとつの線は人がひいたものなのだが、このひき方で風景は変わってくる。



2009/10/14

石橋、共有すること、意志

9日、ローラン・ネイ講演会翌日。
ローランと2人、早朝、緑川流域石橋群を見にタクシーで。この地域の急峻な地形がすばらしい。棚田が連続する風景の中に、ひんやりと流れる河川。深い緑に包まれながら石橋はひっそりと、でも確固とした存在感を持って存在する。そこには僕がスイスの山間部で感じたものに通じるものが見え隠れするが、自然の色彩は全く違う。ここではすべてが深く力強い。2人で一つ一つ地図を見ながら見ていく。100年以上の昔のトップクラスのエンジニア、職人の建造物を、現代のトップクラスのエンジニアの視点に触れながらまわる。非常に贅沢な時間だった。




時を経ても伝わるもの。橋ひとつひとつ、石積みひとつひとつ、きっとそこには意味がありドラマがある。100年以上たって僕らはそれらの前に立っているのである。僕らの時代に数百年たった後、これらと肩を並べることができるものがあるだろうか。意志を持つこと、プライド。常日頃からローランの言葉にも混じるこの言葉。現代のエンジニア、デザイナーとして僕らができること、その責任。そういったものを考えながらの4時間。

僕はこういったことを人に伝え、人と共有していくことがデザイナーとしての役目だと思っている。ローランがもっとも重要視するのはプロセスだという、共有されるためのプロセス。毎回講演をするたびに聴講者の共感を得ることができるのは、彼がこのことを大切にしているからだと思う。プレゼンテーション、もしくは彼のプロジェクトは共有されることに主眼が置かれている。エンジニアとして、百年以上残るものに携わる人間として。

あらためて、人と何かを共有することの大切さを感じれた熊本。
僕はこの街が好きになりそうです。