2009/11/26

Valerio Olgiati 

今日は、招待されていたValerio Olgiatiの講演会に行ってきたBozarの大ホールに溢れるほどの多くの人が詰めかけていた。以前ベルギーの若手建築家の講演会に行ったときもそうだったが、この小さな街でこれだけ人が集まるんだというほどの人が、この種の講演会に集まる。開始時刻が20時と遅めというのもあると思う。
印象に残ったことは、彼の作品が非常に個人的な感覚を起点として出発しているということ、個人的な感覚で捉えたひとつひとつはごく普通だが、執拗なまでに突き詰めていた結果のかたちが独特の雰囲気を醸し出しているということ。個人的な感覚で選び取ったことは、誰もが持っている、もしくは感じることができるようなものであるため、結果としてのかたちは個人的なものでありながら、共有されうるものになり得る。

また、コンテクストから独立したオブジェとしての建築(かたち)の存在させ方には非常に共感をした。そうすることでものすごく純粋なかたちとして存在させることができる。しかしこのことによって見る側はそこに多義的な意味を見いだすことができるのだと思う。

かたちは、必ずしもコンテクストやコンセプトといった概念的なものからスタートしなくてもいいし、結果存在したかたちはそれを感じることで共有されていくのだとしたら、個人的な感覚を起点にし、それをそのままかたちにして行く方法もあるのだろう。

床の素材の連続や扉の開閉、部屋と部屋の接続の違いといったことが人に生じさせる感覚をたよりにし、その感覚が必要となる場所に、その感覚を創り出す適切でより純粋なかたちを生み出す。

建築、かたちが何に存在理由を求めるのか。それは時代によっても異なってきた。Valerio Olgiatiの作品ようなかたちが、一般の人にとっても共有可能な感覚をもったものだとしたら、
多義的な行為を生み出すのだとしたら、かたちはコンテクストや機能といったものから解放され、より純粋なものになり得るのかも知れない。コンテクストに沿わせることの意味とは、歴史的に共有されてきたものを踏まえることに目的があるのではなく、そのことによって建築、かたちが人々に共有されることに目的があるのである。機能も同様に使う人に共有されるのであるならば、必ずしも一定の機能と空間を対応させる必要はない。

個人的な感覚を起点にすること、コンテクストによらないかたちの存在させ方、挑発的な言葉が並んだが、実は共有されることに目的がある。

かたち、共有されるということ、ベルギーに来てから僕の頭の中を流れているこの言葉のヒントのひとつが今日見つかったことが何よりの収穫。

講演会後、ボスと食事に出かける。ベルギーの田舎料理を食べる。
コンペに関していいニュースあり、上機嫌での食事のひとときだった。






2009/11/20

展覧会

昨日ボスと打ち合わせ。アイデアが広がる。

前回書いた内容にプラス、彫刻を並べるように、抽象的な形の大きな模型をちりばめるアイデア。橋は機能が建築に比べて単純だ。最低限必要なのは、渡るというシンプルな機能。(もちろんそれ以外の機能を考える方法もあるが)それが故に純粋なオブジェになり得る。力学に向き合うことは、自然もしくは宇宙と向き合うことでもある。力学をベースに新しいかたちを探求した結果できたかたちの模型は、きっとそんなことも感じられると思う。同時にひとりの人間の思考の結果でもあるわけだから、人間らしさも垣間見れるはずだ。このことをうまく感じられる展示方法、模型の抽象化を考えようと思う。

BOZARでの展示は、よりアート(いろいろな意味を含むため非常に難しい言葉でもあるけど)に、もしくはより共有されるものにできたらいいと思っている。

土木の記事

解決のヒントを領域・分野の外に求めるということをよく耳にする。ただちょっと違和感を感じる。僕は、実はヒントは誰もが持っている、ごく当たり前の身近な感覚にあると思っている。外に求めなくても実は持っているものだと思う。共有されるデザインにはこの感覚が必要だと思っている。「解決のヒントは土木の分野の外にある」という、とある土木の記事を読んでいて感じた。

2009/11/16

週末

久しぶりに晴れた。
このところブリュッセルの典型的な曇りがちな天気が続いていた。青空がでて晴れ上がると、この街はとても気持ちがいい。奥まった路地がうっすら照らされ、石畳やオーナメントの陰影がはっきりするからだと思う。

小さな街だけど、こんな日の散歩は、入り組んだ路地をちょっと入ったところで、小さなカフェ、レストランなど新しいものが見つかる。金曜日に展示構成のアイデアがまとまったため、この週末は仕事の頭をストップして過ごせた。特に何をするわけでもなく過ごしたのだけれど、最近はそんな休日が心地よく感じる。

展示構成のアイデアはというと、特徴的な空間的な指向を持った構成は行わず、オーソドックスな構成を基本としつつ、順路を設けないヒエラルキーを持たない構成とし、自由に好きなように見てもらうようなものになるといいと考えている。展覧会場を自由に歩き回りながら、スケールや素材、力学を実際にリアルに感じてもらえたらと考えている。そのための最低限のしつらえ(視線のコントロール)を用意しようと思っている。

同時に書籍も出版されるため、書籍と展覧会の棲み分けも考えて、同様の内容を扱いつつも見せ方を全く変えてそれぞれの特性を活かすよう方向付けを行うつもりだ。書籍と展覧会ともに合わせることですべてを知ることができるようなことがいいと考えている。

今月はこのアイデアを発展させて月末の打ち合わせに臨もうと思う。









2009/11/07

もうすっかり秋。今年も寒い。ちょうど締め切り2つを終えてちょっと一息。最近の休日時間があるときは、ブリュッセルを散歩することと、家で絵を描くことが多い。絵はイラストに近いけれど、非常に個人的なもので仕事とは全く違った思考で描いている。いつもとちょっとだけ違ったことをすると新しく気がつくことが多い。木の形や、木の葉の色、質感、こもれびの光、そんなものが頭の中を巡っている。イラストのアイデアはそんなところからやってくる。