2010/12/24

つくること

このブログではヨーロッパでのことを書いているが、僕は日本もヨーロッパもどちらがすばらしいとも悪いとも思っていない。ただ本質を捉えている環境というのは存在する。たまたまそれがベルギーにあったというだけだ。よくなぜヨーロッパなのか、ベルギーなのかと聞かれる。本質的に自分がいいと思うものをつくりたい。そう考えたときに、ここに来る選択に出会ったというのが正直なところだ。

そして今思っているのは、論考も批評も大切だが、つくることが最も重要だということ。デザインプロセスについて考え始めている僕が言うのも矛盾するが、過程も大事だが、やはりかたちとなる結果、実現させるということが最も重要だと僕は考える。しかもそれがどこまで純粋な思考を反映させているかということにこだわりたい。だからこそ表現だと思う。

制度の違いも、条件の違いも予算の違いも言い訳にはならない。何を考え、何を実現させたかがすべてだし、現状に存在しないなら自ら状況を生み出していくしかない。ここをこうしたかったけれど、予算がなくて、、は言い訳でしかない。

「かたち」は思考の結晶である。その思考を多くの人と共有するデザインプロセスがある。つくること、結果にこだわることと、プロセスを考えること。相反する2つのことを解く先に現代性が見えてくると思う。

ようやくこのことを形にしていける状況が見えてきている。デザインプロセスについての論考をまとめることと、ヨーロッパではなく日本で「かたち」をつくることによって。

2010/12/22

日本の仕事

ここ数日、日本の仕事の話が2つ動いている。詳細はどちらも書くことはできないが、ひとつは長大橋、もうひとつは小さな歩道橋。対照的なプロジェクトだ。対照的なのは規模ではなく、関わる人間の新しいことへトライしようという姿勢、志だ。

今日もローランと話したが、僕たちが提案することへの期待や、提案を大切に考える人たちと仕事をする必要がある。それは自ずと仕事の条件にも反映されてくる。日本では、契約やデザイン料などの交渉を曖昧にすることや、条件や金額の交渉をすることがどこかはばかられる風潮がある。しかし、今の僕の環境は違う。仕事の条件や金額は、僕たちの能力への評価や期待でもあるからだ。お金が最も重要だと言いたいのではないが、金額が少ない仕事は相手の緊張感もないため、なあなあになることが多い。もちろん少ない金額で志のある仕事もある。しかし本当に相手に志があるときは、次回に必ず金額に見えてくる。

また、僕たちのようなアイデアを核とした仕事は、時間給の単純労働でもないし、具体的な形に値段をつけて売るのとも違い、金額設定の際には形は目に見えていない。つまり能力を信頼して、いい提案や仕事に期待をして、相手は条件や金額を決めるのである。だから、そこは相手からの評価と表裏一体になるという一面もあるのだと思う。

不景気だといわれる今、価格の安さだけが評価軸になりがちで、また、価値基準が規格化されてしまっている現代では、人としての能力に期待して信頼して、仕事を依頼することは難しいことだ。だからこそ、そういう仕事には全力で答えないといけないと思う。
ちいさな歩道橋のプロジェクト。これが日本で初めてのネイ&パートナーズの仕事となるはずだ。


2010/12/20

コンペ

先日参加したオープンコンペの結果が出た。久しぶりの負け。2等。いい提案だったので非常に残念。提案内容の得点は僕たちの案がトップ。敗因は設計料。1等はグレイシュ事務所だそうだが、設計料の見積もり額が大きく違っていたようだ。やはりこのご時世、世界中どこでもコストはシビアである。

結果は悔しいが、潔い負けなのだと思う。いいものを思考するからには当然それなりの対価は当然必要だ。そこが僕たちの仕事の価値だし、評価でもある。要項にコストが重要なことはもちろん記載はあったので、提案内容では必要最低限の中での最善の案をつくった。設計料はいくらでも下げることは可能だが、そこは行わず通常の範囲で設定した。

価格競争は経済原理で当然のことのように思われているが、そのことによって僕たちは貧しさを買っていることもあることにそろそろ気がついてもいい頃だと思う。今回のコンペのケースでは感じないが、ふと日本の講演会の際に、必要以上に「コストがコストが」と質問している人を思い出した。100年以上も残っていくものをつくるのに、短期的な視点でコスト一辺倒は悲しい。何が合理的か、本当の意味で最も経済効率が高いか、そろそろ転換する時期だと思う。合理性ということも、これまでとは違った多様な価値を統合した上での合理性のようなものがこれからの合理性だと思う。

2010/12/11

ベルギーのおすすめ(2)Bozarの展覧会

先のブログに書いたLucas Cranachの展覧会。絵画は詳しくないが、この人調べていくと面白い。ちょうどドイツで印刷技術が発明されたころであり、宗教改革の時代の人である。Bozarの展覧会の解説をみていくと、画家でもあるが、同じ図案を工房に人をかかえながら生産していたり、絵画の中にテーマを補足するテキストが挿入されたり、グラフィック的な要素がみられる。

表現としては古典的な絵画なのだろうけれど、現代的な要素がみられ、きっと当時にすると前衛的な表現が含まれていたのだろうと想像する。展覧会はその背景や展示のテーマ、キュレーションの意図がわかることで、より楽しむことができる。これまでは退屈に思っていた古典絵画の展覧会にも、見せ方によって違った光が射すのだと思う。

Bozarの展示はそこまで丁寧にはできてはいないが、その背景を自分で知ってからいくと、空間構成と共に楽しめる。

Bozarの展覧会は良質ものが多い。ベルギーのおすすめである。

2010/12/10

Vernissage

今夜はBOZARのSVERRE FEHNの展覧会のオープニングへ。会場にナタリーもきていて、少し話す。展示を一緒に見て、ナタリーは友人とコンサートへ。僕は、一時間で帰る予定が、イワンとステファン、ヤンの3人と話し込んで、その後夕食へ。

関係者の夕食にまぎれながら、いろいろな話をする。すると終盤、BOZARのディレクター、ポールジャルディンがきて、特別に他の展覧会場への入場許可を取ってくれた。夜間に通常は入れないのだが、そこは美術館のトップ。すぐさまセキュリティが解除され、中へ。

「The World of Lucas Cranach」はおすすめ。16世紀の画家Lucas Cranachの展示だが、コンテンツもさることながら、レイアウトが秀逸。以前ブログに書いたOFFICE KERSTEN GEERS DAVID VAN SEVERENによるもの。

展示ルートの統一感を保ちつつ、コンテンツごとに微妙な差異を与えていた。一見普通。しかし、微妙な差異や視覚的な空間の連続性の変化によって、この種の展示の単調さを回避しつつ、普通の人には気がつかないほど繊細な工夫が凝らされている。しかもつくりすぎていないし、カテゴリーごとに説明を読む休憩スペースが用意されるなど、非常に機能的にもよく考えられているあたりは、ベルギーの建築家らしいところだ。1月末までだが必見。一般の人にも伝わるデザインを考える上では非常にいい例だ。

その後、イワン、ステファン、ヤン、ポールジャルディンと記念撮影をし、イワン、ステファンとビールを一杯飲みにいく。今後の話をして、僕は地下鉄で帰宅。

今夜は有意義で楽しい夜だった。イワンとステファンは、僕の彼女にどっちが先に会ったか、たくさん話したことがあるかで言い合っていた。

2人は、これからのベルギーの建築、土木シーンの中心にいることは間違いない。このあたりのことはまた後日に。

2010/12/08

多様性、公共性

ハーバード大学の講義がwebcastでみることができる。コンペ明けの日曜日にみた。Jürg Conzettの回は特に興味深い。今回のベネチアビエンナーレの展示のためのリサーチを話の中心に据えながら、彼の思考に焦点が当てられている。観察の中から、構造物の価値を評価する軸を独自に言語化し、自身のデザイン思考につなげていることがよくわかる。

構造と意匠を統合する教育や、そのためのデザインプロセスに関しては、まだ明確になっていない部分が多く感じられるものの、プレゼンテーション全体を通して、構造を評価する価値は、状況や場所に応じて多様にあるべきことを伝えようとしている。

僕の今の環境でも同じことを違った表現でプレゼンテーションしている。僕たちがとっている方法がよりデザインプロセスを透明にしていくことに主眼が置かれたプレゼンテーションなのに対して(ここには公共性ということがある)、彼のプレゼンは、より概念的に(もしくは思想的に)同じ問題を表現しようとしている。

僕は、多様性ということは、現代的な問題であると思っている。構造デザインにおいてはこれから特に考えなくてはいけないテーマだと思う。エンジニアは構造解析や技術的な問題を数学的に解くことに集中していくと、ある価値を絶対的に信じがちになる。多様性と逆行する方向なのだ。

多様性というのは、一見簡単にできそうに見えて、非常に厄介な言葉なのだ。ここでいう多様性は、かたちのバリエーションという意味ではなく、場所固有の価値を見いだすこととつながっている。

場所固有の価値(固有性)と、力学もしくは技術的な価値(普遍性)が合わさった先に、本当の意味での意匠と構造の融合がある。このことは実際のプロジェクトの中で思考し体感しないと理解できない部分でもある。

多様性、公共性。この2つは僕にとってキーワードなのである。

shaping forces

今年春ベルギーの現代美術館で行われた展覧会に合わせて出版された書籍。南洋堂とアマゾン、京都の大龍堂で購入可能。

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2010/12/05

11月のこと

少しずつ時間をみて、11月に考えたことをまとめていこうと思っている。今年のローランネイ講演会は、東京、京都、福岡の3都市で行われたわけだが、特に福岡の風景デザイン研究会主催の風景デザインサロンで、僕自身が話した「構造デザインにおける新しい設計プロセスー欧州でのコンペ事例を通じて」は、僕にとっても非常に多くのことに気がつくきっかけとなった。

これまでバラバラと日々漠然と考え、メモに書き残してきたことの一部をつなぎ合わせていったことで、公共性を確保していくためにはどういったことが設計プロセスにおいて必要か、また行政システム、設計を含めた広義での公共空間におけるデザインプロセスにおいて、住民参加といった合意形成プロセスとは別に、設計サイドからできる可能性について多くのことに気がつくことになった。

そして何より興味深い点は、公共性を考えていった結果、構造と意匠が融合していき、それがエンジニアとしての思考から端を発しているからこそ可能なことでもあったという点だ。僕自身は建築意匠側から橋梁もしくは土木の分野に入った人間だが、今の環境いたからこそ、このことの持つ意味の重要性が理解できるのだと思う。意匠だけでもなく、構造だけでもなく、コストのことだけでもなく、工法のことだけでもなく、すべてを統合的に思考するからこそ可能なことがある。その上ではエンジニアとしての思考は非常に重要であるし、またエンジニアが意匠的な思考ができることも同時に重要なのである。

つまり構造、意匠、どちら側からでもいいのだが、双方を横断できる存在、そしてその教育が今もっとも必要なことなのである。建設が社会悪としてみられつつある現在の日本の状況において、公共的に共有されつつ次世代に残せるものを生み出すためには、このことにもっと意識的にならなくてはいけないと思う。

ここでいう統合的なプロセスは、構造と意匠のコラボレーションというよくいわれる恊働プロセスではなく、まったく新しい(もしくは新しく意識化された)プロセスなのである。
福岡ではその一端を紹介したが、今後このことはしっかりまとめていこうと考えている。









コンペ verviers

リエージュのすぐ近くにあるVerviersという街にかかる歩道橋のオープンコンペ。新設される大型ショッピングセンターと対岸をつなぐ30mほどの小さな歩道橋。今回は最終案を決めるのにかなり苦労した。めずらしく様々な方向に紆余曲折した結果、興味深いかたちを探すことができた。最終的な判断は、都市的な位置づけと力学的思考を明確に表現した「かたち」であるかどうかが決め手となった。つり構造とアーチ構造の中間的な非常に軽やかな提案となっている。

昨日夜中に仕上がり、その後マチューと一緒に、ローランの家で会食。ラクレット(スイス料理)とおいしいワインをいただく。少し違うけれど日本でいう鍋料理的な感じで冬の定番のようだ。コンペは、月曜日早朝に提出となる。