2011/06/20

ストックホルム、散歩。

緑が多くコンパクト。ヨーロッパの街の中でもベンチが多い気がする。一年のうちで日が長いこの季節は、街の至る所のベンチに座っている人、公園で日光浴する人を見かけた。公共空間の使い方になれている気がする。とにかく街の広場や公園を最低限のしつらえで上手に使っている。






2011/06/18

エストベリ

建築に物語があった時代。建物随所に物語が刻み込まれているが、全体構成としてはシンプルであるため心地よいバランス。中庭は海に向けた透明感がある。長い時間をかけて建設され途中計画が変更になっているが、時間の流れの中で人の手でつくられた建築はやはり豊かだ。森の火葬場もそうだが、時間をかけてものを作ることが生み出す価値は大きい。

ストックホルム市庁舎のガイドツアー(1時間ほど)に参加したが、丁寧な解説にこの建物が街のシンボルとして愛されていることを感じた。多くの人が考え、多くの人によってつくられた建築はそれだけの力をもつ。もちろんそれを支える人がいるからだが。





2011/06/16

環境、スケール、プロポーション。

光の状態、空気の流れ、水、植物、土、そしてそこの介在する人工物としての構造物。これらが集合して人の営みを形成する都市(環境)になる。そんなことをあらためて実感したのが、グンナール・アスプルンドの建築だった。アスプルンドの作品は、今回4つ見たが、どれもクラシカルな言語でつくられているし、バナキュラーともいえる。つまり突飛な真新しさはそこにはない。つまり街の至る所で類似のかたちを見つけることができるのだ。違いは、配置やプロポーションといった非常に繊細な部分からもたらされる。(ここに現代性があるように思う。)

なかでも森の火葬場はすばらしかった。かたちや配置、スケール、プロポーションの単純な操作で、あそこまで豊かな環境を作り出している例はこれまで見たことがない。しかも建物だけでなく、植物や地形のレイアウトまですべてがバランスして、場を作り出していた。大きな環境の中にある小さな住宅のようなスケール、葬儀の経路になるシークエンシャルな配置、象徴的な空間のスケールなど、多様な空間とスケールが見事に調和し、まさに「環境」としかいいようのない空間があった。

そんなことを思いながらブリュッセルに戻ると、偶然大学時代の研究室の先輩の作品をネットで見つけた。人と環境との関係をつなぐやさしい空間の作品だった。僕は、都市、街が建築や土木で分断されず人の営みの環境をつくることができないかと思っている。橋や広場も建築も同じ土壌で議論され考えられるべきなのだと思う。そしてそれらの言葉がわかりやすく翻訳され、一般の人にも共有される方法を考えないといけない。方法論や方向は違えど、人の営みの環境をシームレスにつなぐという点で、いろいろ話してみたいと思う。帰国の際には、事務所を訪ねようと思っている。

まだまだ整理しないといけないが、ぼんやりといろいろなことが頭の中でつながり始めてきている。環境、公共性、都市、構造、共有、身体性、装飾。様々なレベルの言葉だが、これらが少しずつ収束しはじめている。






2011/06/04

コンペ

ルクセンブルクの高架橋の改修のコンペに勝利。改修部分は転落防止用の柵と手すりなので小さなプロジェクト。僕は他の作業もあったので、最後のプレゼンの仕上げだけアドバイス。アイデアは非常にシンプルで、柵のパーツの断面の切り欠きを変化させることで、見る角度により文字が浮かび上がるというもの。素材はステンレスで非常にシャープな仕上がりになる。

来週はたまった作業を仕上げて、週末からストックホルムへ。アスプルンドはどうしてもみておきたく。モダニズムと新古典主義の間の葛藤の中から生み出された作品は、どれもどこかやさしくあたたかい。ちょうど初夏のいい季節。見たかったものをみに出かけようと思っている。