2011/05/30

プレゼン

昨日プレゼンを一つ仕上げる。久しぶりに2週間ほどほぼ休みなく、日本にいたとき並みに仕事をする。多くのことを考えたし、気がついたこともたくさん。充実。
手を動かす作業がかなり多かったので、考える作業とのバランスが難しかったが、周囲の協力もあって、いい提案になったと思う。外部との恊働作業も知っている人たちだったことや皆プロフェッショナルであるため、刺激的ないい時間だったと思う。

今日は一日お休みして、明日からまた新しい仕事に取りかかる。
6月もまた忙しくなりそう。

2011/05/21

Roland rainer

1年ほど前にアムステルダムの古本屋で買った作品集をながめる。作品についてあまり知らなかったが、作品集の写真の質感が気に入って買った。久しぶりにみて、ネットで検索してみたら興味深い映像を発見。

都市計画、居住区の考え方について語っている。過去と異なることをする必要はなく、歴史の中にある重要なアイデアを現代に合わせてつなげていくというごく当たり前に思われがちなことをいっているのだが、納得した。

100年、1000年以上前も人が感じることは同じだとするなら、歴史の中に残る習慣や構成には重要な意味が残されているはずだ。街区において外部からのプライバシーを確保しつつ内部を開くことや、広すぎない適切な密度が良質な住環境をつくる可能性があること、誰もが手の届く価格にであることなど、ごく当たり前のことを、どのように現代の回答として用意するかは、公共の場所をつくる人間として考えなければならない。

日本も欧州も、公共のデザインは、どのように職能を一般の人々に共有してもらうかという観点においては、同様の危機的状況にあると思う。

2011/05/13

新しさ

単なる新しさには興味がわかなくなってきている。それよりも何が必要なのか、「問い」を探すようなことの方に興味がある。これまでにないような新しいアイデアも、何のために存在するかや人の生活にとっての意味を持たないとするなら、僕にとってはあまり興味の対象にならない。

そういった新しさは、たいてい資本の流れとは無縁になる。ヒットチャートのような大衆的であることは、公共の場所を扱う仕事をする僕たちが忘れてはならない重要な側面を表している。使える新しさのようなものがいいし、思いついてしまえば誰でも考えられたようなそういった新しさがいい。このことが一番難しいことは「デザイン」をしっかりやってきた人にはわかるはずである。

僕は、僕が今考えているもしくはこの環境で取り組んでいるような「デザイン」の在り方を、日本の社会の中に、資本の流れの中に滑り込ませようと考えている。簡単ではないが、かすかに道は見えているし、進んでいる実感はある。そのためには、ジェネラルな視点で物事を捉え、道をつくっていかなければならないと思う。

先週の日本で、また新しく提案をする方向が見えた。「デザイン」する前に、デザインのための下地をつくる企画を練る。チャンスを待ったり、今世の中に存在することのみをみているだけでは、日本の土木は変わらない。