2011/12/11

日本ツアー

約2週間の日本横断を終えての感想。
既存の枠にとらわれている日本の現状と、答えを求める質問の多さが印象に残った。前者は自らがおかれている状況の肯定と、現状の困難からくるあきらめのようなものを感じ、後者は創造性というブラックボックスを公式化しようとする欲求を感じた。今年に限らず例年感じられたことだが、全国5カ所どの会場でも共通してみられたことや、4年という歳月を欧州で過ごしたことからより一層客観的に状況を見れるようになったこともあるのかもしれない。

今回まわった南よりも震災のあった北の方が前に進もうという力を感じる。とはいえ困難な建設業界の中にあっても変化を求めてトライアルをしようとする人たちはいて、そんな方々からは来年に向けてのオファーをいくつかもらったし、プロジェクトも新たに動き始めることとなる。

僕たちは作品をつくるために仕事をしているのではないし、業界や一部の地域の中で賞賛を得るために仕事をしているのではない。潜在的な世の中のニーズを、ほんのすこし先を見据えながら提示していく行為こそがデザインだと思うし、だからこそ僕たちの職能は社会から求められるようになる。構築物を構想し問題を解決するという専門性はありつつも、国や分野や領域は与条件の違いに過ぎなくなる。内に閉じた狭い視野の思考では、いずれこの国は世界から取り残されてアジアの小さな保養地になっていくのではないか。

点在していた過去の経験や思考が線につながって見えてきている。どのひとつでもかけていたら今の状況は生まれていない。後から記述することはできても同じようにやったら再現できるような単純なものではない点はデザインという行為と似ているのかもしれない。大切なのは個々の事実の記述や解析よりも本質を体感的に掴むことなのだと思う。


2011/11/16

デザインのベクトル

欧州と日本ではデザインのベクトルが異なっている気がする。特に震災もあって日本の場合、コミュニティ(人)に大きくシフトしている。反対に欧州は、モノにまだ可能性を感じていて、新しい設計手法やツール、解析など最先端の技術の方向へと進みつつある。

僕はというとこのどちらも大切だと感じていて、むしろこれからはバランスなのだと思う。新しい技術や解析はあくまでツールだし、コミュニティに頼りすぎると設計という行為(職能)の意味が見えにくくなるのではないか。

今回の講演会で、僕個人的に意図したいことは、どのようにバランスのある設計を可能にするか、多くの人と共有可能なデザインが可能になるのかという方法試論を投げかけたいと思っている。

2011/11/15

シュバントバッハ橋

先月見に行ってきた。非常にシンプルなのに存在感がある。曲線の線形と力学から生まれたかたちの変化、版アーチの経済的特性(打設後上部床の施工の支持材となること、シンプルな面での造形)に加え、床版と桁との接合部を歩行空間として処理していたり。力学、経済性、空間性、様々な要素を一体的に解いた結果、固有のかたちが生まれ、風景の中に静かに佇む。そして鉄筋コンクリートという当時の技術を活用してできている。

様々なものが一体となっていく感じはコンクリートの造形そのもののよう。アーチに剛性を付与した同じマイヤールのサルギナトーベル橋に比べると、造形的には控えめだが、この橋がマイヤールの作品の中で最も好きな作品。


ローランネイ講演会 2011

今年は4カ所に加えて、打ち合わせもあるため非常にタイトなスケジュール。以下が時間と場所。

11月27日(日)15:00~18:30 アクロス福岡 詳細 
11月29日(火)14:40〜17:00  Y-GSAパワープラントホール(横浜)
11月30日(水)18:00〜20:30 日本大学CST ホール
12月1日(木)14:00~17:00 大学コンソーシアム大阪  詳細


2011/11/14

11月

今年も日本で講演会。東京、横浜、大阪、福岡、熊本の5カ所。

僕も話をする会場がほとんどなので、久しぶりにデザインとか設計についていろいろな人と議論をすることになりそう。今回、僕が話すことは、実際に実現しつつあるものの中から考えた思考にしたいと思っている。僕は、机上のアイデアの善し悪しよりも、実際につくること、社会の中で強度を保ち続けられるものを生み出すことにデザインの本質があると思うからだ。

見たり読んだりする中で学ぶこともあるが、つくることからみえることがある。



2011/10/11

久しぶりに

更新。

何のためのデザインかということ。ソフトによりすぎるとみえにくくなるんだと感じた。
今日のブリュッセルでのレクチャーでの感想。デザインの目的、在り方がしっかり言語化されていないと、ある場所、ある地点では共有できたとしても、場所が変わると共有できなくなる。

写真はこれとは全く関係なく、最近撮ったものを。


 

2011/07/15

橋について そして その先に見えつつあるものについて


橋に本格的に関わりだしてまだたった3年である。コンペも実務も含めてかなりのことに関わったが、まだまだわからないことがたくさんあり、奥が深い世界だ。

橋は、極端にいえば2つの対岸をつなぐというシンプルな機能である。建築のような複雑なプランニング(いわゆる建築計画的な)は通常存在しない。それ故に純粋に「かたち」をどのように思考しつくるのかということが鮮明に現れるし、それをぬきには、本質的な橋のデザインはあり得ないとさえいえる。そこには、いくつかのことが関係していると思う。

まずはじめに、機能がシンプルが故に初期条件の捉え方が「かたち」に直接影響する。それは線形や地形、境界条件などの物理的な制約を解くことに始まり、法規的な制約をどのように解釈するかといったことも含まれる。つまり制約のなかでそのように要求スペックを効率よく獲得するのかともいえる。
また、橋をどのように架けるかということも重要なテーマである。建築でも施工をどのように行うかは重要だが、橋のように水平方向への大きさを持たないため、何かを跨いだり、地形と対峙するような施工はほとんどない。
3つ目は、ジオメトリーだ。これも「かたち」をどのように構成するのかという製作上の問題と意匠の問題を含んだ重要なテーマだ。現実的にある種の合理性もって「かたち」を存在させる上で重要なのである。「かたち」の背後にある規則性の根幹でもあり、流行のパラメトリックデザインもこの問題と大きく関係する。
そしてこれら3つの間に力学が常に介在する。乱暴にいえば、これらの4つを複合的に捉えた上で、美しい解を個々の設計者の捉える「合理性」の概念の中で見いだす作業が橋を設計することだとさえ思っている。もちろん、架設や合理的な材料の使用は環境負荷とも関係するし、シンプルな幾何形状はメンテナンスとも関係するので、上記のような4つという単純な話ではないのは、十分承知の上だ。

上記が僕なりに感じているエンジニアの思考の基本部分だ。スペックを満足した「かたち」が重力のある世界で現実に存在できることと、最小限の材料による軽量化や長寿命性を志向した先に経済的合理性が見え隠れすることで、社会の中で合意を得やすいのである。

しかし、これだけでは何かに欠ける。どこか人間味がないと思うからだ。そこにスケールの問題を加える必要があると思うのだ。身体性やヒューマンスケールとも空間性ともいいかえられるが、僕が今考えているのは、実はもう少しプロポーションとか様々なスケールの対比から呼び起こされる感覚を生み出すスケールへの意識のようなものなのだ。(まだうまく言語化できていない。アスプルンド、メルクリなどの建築で強く感じた。橋だと日本で見たいくつかの石橋などでも感じたことがある)人の行動、感覚に影響を与えるような空間のプロポーションやスケールの構成があるのである。感覚的に気になった場所でスケッチをしていて、意図的につくり出されていることに気がつくことがある。

これらに加えて文化的歴史的要素などを考えていくと、扱う要素は複雑になっていく。この複雑性を新しい技術を活用しながら、どのように統合的に解くかがこれからのデザインのテーマだと思う。ベルリンの講演会の前に取り組んだコンペ案でその一つのヒントが見えた。統合的な解を導く際には、かたちと解析を横断する思考が必要で、さらに複雑さを解くにはプログラミング技術が必要となる。この横断的なシークエンスを感覚的な判断を伴って進めた先に次のステップがある気がする。

エンジニアの思考を整理しつつ、スケール、複雑さを解く統合的な規則性の2つをデザインをしていく上で考えようと思う。

追記:
さらに書くと、上述の4つ+スケール、複雑性などがかたちをつくる思考の問題で、これとは別に、社会に構造体を存在させる戦略が必要なのである。制度の問題や、思考を伝える言語の問題(プレゼンテーション)、そして資本の流れを読むことなど、より社会的な問題が発生する。日本に関していうと、この問題ををまずやらないと僕がヨーロッパで体感しているような世界は訪れないと思っている。


いずれにしてもまだよく整理できてはいない。ここに書いたことはかなり乱暴な捉え方だが、整理するために外に出す必要があると思ってのメモ書き。

2011/07/10

Bookmark BE

フランダースらしい表現。
http://www.filipdujardin.be/

僕にとっての原点のひとつ。

ゲントに面白い橋のプロジェクトもある。


何かを超えていくことに学生の頃から興味があった。そして今フランダースとは多くの縁がある。フランダースと15年以上前から無意識のうちにつながってきていたんだ。友人もフラマンに多い。Gent、Antwerpはこの国(たぶん世界の)のアート、デザインシーンにおいて今後ますます重要になるはずだ。


2011/07/09

footbridge awards 2011

結果です。こうして評価が定まっていくのは大切なこと。先日藤野先生も実物をご覧になって、Ney事務所の在り方に納得されて、満足されていた。とにかく多様性が生まれてきていることが楽しい。それを肌で感じられることも貴重なことだと思う。


2011/07/06

GS24

ベルリン滞在中、日本ではGS24っていうのが行われていたらしい。
昨日聞いて、録画されていたものをいくつかざっと見る。

自分が考えていることとの距離を感じたが、そのことを考えるより、今考えていることをかたちとして世に出すことに専念しようと思う。違った可能性を言葉で伝えるより、早いはず。

これを見ていてもう一つ思ったことは、ベルリンのシンポジウムはしっかり記録に残した方が良さそうだ。橋梁、構造という分野に限らず、重要なことが詰まっていたから。

ロンドン

8月にこの2つはみてこようと思う。

2011/07/05

空間

広く開放的なことが良い場合もある。しかし広い空間にある小さなスケールが心地よいこともある。僕の中で、ストックホルム以降意識的になっている部分である。

collegebridgeは、今回訪れたときに新しく遊具とベンチが追加されていた。そして桁下の空間は日よけの心地よい空間になっていた。季節によっても印象は異なるが、少々低い桁下もこのような利用には心地よい空間になる。つまり全体の中でのプロポーションが重要で、部分を見るだけでは判断できないことがある。

空間は繊細なのである。

今日は日本からの来客を案内して、事務所の作品4橋をまわった。


2011/07/04

ベルリン 

歴史のレイヤーが重なり刻まれている街は奥が深い。しかもその痕跡が生々しく残っている。そのほんの一部を垣間みた4日間。歴史の流れの中から生まれる意味を伴ったかたちの強さを改めて実感した。とにかくこれが最も感じたこと。

それ以外にも、初日はSYMPOSIUM "DIE KUNST DER INGENIEURE _ BEST OF ENGINEERING _ POSITIONEN" 。トップレベルの話をこれだけ一度に聞けるのは非常に贅沢だし、いろいろなことに気がつくきっかけとなった。

Waldbühne は雨天中止。残念だが、これもなかなかないこと。

そして今回のベルリンを案内してくれたMくん。非常に丁寧な案内に感謝。Mくん、Hさんとは、同じ橋梁の世界でも立ち位置は全く異なるが、今後につながる議論を展開できそうな予感がして楽しみだ。

こうやって新しい方向への扉が開けていくのだと思う。

2011/06/20

ストックホルム、散歩。

緑が多くコンパクト。ヨーロッパの街の中でもベンチが多い気がする。一年のうちで日が長いこの季節は、街の至る所のベンチに座っている人、公園で日光浴する人を見かけた。公共空間の使い方になれている気がする。とにかく街の広場や公園を最低限のしつらえで上手に使っている。






2011/06/18

エストベリ

建築に物語があった時代。建物随所に物語が刻み込まれているが、全体構成としてはシンプルであるため心地よいバランス。中庭は海に向けた透明感がある。長い時間をかけて建設され途中計画が変更になっているが、時間の流れの中で人の手でつくられた建築はやはり豊かだ。森の火葬場もそうだが、時間をかけてものを作ることが生み出す価値は大きい。

ストックホルム市庁舎のガイドツアー(1時間ほど)に参加したが、丁寧な解説にこの建物が街のシンボルとして愛されていることを感じた。多くの人が考え、多くの人によってつくられた建築はそれだけの力をもつ。もちろんそれを支える人がいるからだが。





2011/06/16

環境、スケール、プロポーション。

光の状態、空気の流れ、水、植物、土、そしてそこの介在する人工物としての構造物。これらが集合して人の営みを形成する都市(環境)になる。そんなことをあらためて実感したのが、グンナール・アスプルンドの建築だった。アスプルンドの作品は、今回4つ見たが、どれもクラシカルな言語でつくられているし、バナキュラーともいえる。つまり突飛な真新しさはそこにはない。つまり街の至る所で類似のかたちを見つけることができるのだ。違いは、配置やプロポーションといった非常に繊細な部分からもたらされる。(ここに現代性があるように思う。)

なかでも森の火葬場はすばらしかった。かたちや配置、スケール、プロポーションの単純な操作で、あそこまで豊かな環境を作り出している例はこれまで見たことがない。しかも建物だけでなく、植物や地形のレイアウトまですべてがバランスして、場を作り出していた。大きな環境の中にある小さな住宅のようなスケール、葬儀の経路になるシークエンシャルな配置、象徴的な空間のスケールなど、多様な空間とスケールが見事に調和し、まさに「環境」としかいいようのない空間があった。

そんなことを思いながらブリュッセルに戻ると、偶然大学時代の研究室の先輩の作品をネットで見つけた。人と環境との関係をつなぐやさしい空間の作品だった。僕は、都市、街が建築や土木で分断されず人の営みの環境をつくることができないかと思っている。橋や広場も建築も同じ土壌で議論され考えられるべきなのだと思う。そしてそれらの言葉がわかりやすく翻訳され、一般の人にも共有される方法を考えないといけない。方法論や方向は違えど、人の営みの環境をシームレスにつなぐという点で、いろいろ話してみたいと思う。帰国の際には、事務所を訪ねようと思っている。

まだまだ整理しないといけないが、ぼんやりといろいろなことが頭の中でつながり始めてきている。環境、公共性、都市、構造、共有、身体性、装飾。様々なレベルの言葉だが、これらが少しずつ収束しはじめている。






2011/06/04

コンペ

ルクセンブルクの高架橋の改修のコンペに勝利。改修部分は転落防止用の柵と手すりなので小さなプロジェクト。僕は他の作業もあったので、最後のプレゼンの仕上げだけアドバイス。アイデアは非常にシンプルで、柵のパーツの断面の切り欠きを変化させることで、見る角度により文字が浮かび上がるというもの。素材はステンレスで非常にシャープな仕上がりになる。

来週はたまった作業を仕上げて、週末からストックホルムへ。アスプルンドはどうしてもみておきたく。モダニズムと新古典主義の間の葛藤の中から生み出された作品は、どれもどこかやさしくあたたかい。ちょうど初夏のいい季節。見たかったものをみに出かけようと思っている。


2011/05/30

プレゼン

昨日プレゼンを一つ仕上げる。久しぶりに2週間ほどほぼ休みなく、日本にいたとき並みに仕事をする。多くのことを考えたし、気がついたこともたくさん。充実。
手を動かす作業がかなり多かったので、考える作業とのバランスが難しかったが、周囲の協力もあって、いい提案になったと思う。外部との恊働作業も知っている人たちだったことや皆プロフェッショナルであるため、刺激的ないい時間だったと思う。

今日は一日お休みして、明日からまた新しい仕事に取りかかる。
6月もまた忙しくなりそう。

2011/05/21

Roland rainer

1年ほど前にアムステルダムの古本屋で買った作品集をながめる。作品についてあまり知らなかったが、作品集の写真の質感が気に入って買った。久しぶりにみて、ネットで検索してみたら興味深い映像を発見。

都市計画、居住区の考え方について語っている。過去と異なることをする必要はなく、歴史の中にある重要なアイデアを現代に合わせてつなげていくというごく当たり前に思われがちなことをいっているのだが、納得した。

100年、1000年以上前も人が感じることは同じだとするなら、歴史の中に残る習慣や構成には重要な意味が残されているはずだ。街区において外部からのプライバシーを確保しつつ内部を開くことや、広すぎない適切な密度が良質な住環境をつくる可能性があること、誰もが手の届く価格にであることなど、ごく当たり前のことを、どのように現代の回答として用意するかは、公共の場所をつくる人間として考えなければならない。

日本も欧州も、公共のデザインは、どのように職能を一般の人々に共有してもらうかという観点においては、同様の危機的状況にあると思う。

2011/05/13

新しさ

単なる新しさには興味がわかなくなってきている。それよりも何が必要なのか、「問い」を探すようなことの方に興味がある。これまでにないような新しいアイデアも、何のために存在するかや人の生活にとっての意味を持たないとするなら、僕にとってはあまり興味の対象にならない。

そういった新しさは、たいてい資本の流れとは無縁になる。ヒットチャートのような大衆的であることは、公共の場所を扱う仕事をする僕たちが忘れてはならない重要な側面を表している。使える新しさのようなものがいいし、思いついてしまえば誰でも考えられたようなそういった新しさがいい。このことが一番難しいことは「デザイン」をしっかりやってきた人にはわかるはずである。

僕は、僕が今考えているもしくはこの環境で取り組んでいるような「デザイン」の在り方を、日本の社会の中に、資本の流れの中に滑り込ませようと考えている。簡単ではないが、かすかに道は見えているし、進んでいる実感はある。そのためには、ジェネラルな視点で物事を捉え、道をつくっていかなければならないと思う。

先週の日本で、また新しく提案をする方向が見えた。「デザイン」する前に、デザインのための下地をつくる企画を練る。チャンスを待ったり、今世の中に存在することのみをみているだけでは、日本の土木は変わらない。

2011/04/20

いろいろ

事務所では、海外進出に向けて、外向けにもいろいろ仕掛けることを始めている。PR専門の人間を雇ったし、いろいろな賞にもエントリーされるようになった。これまであまりにやってこなかったこともあるのだが。ミースファンデルローエ賞は受賞はしなかったがノミネート。Foot Bridge awordは3つの作品が美的部門、技術部門共にショートリストされている。

そろそろローランの個人で見れる限界の領域に来ているからだろう、先月から事務所の組織構成も新しくなった。チーム編成、組織構成を見ると毎回ながら僕のポジションは特殊なことがわかる。あらゆる段階の意匠的部分、およびプレゼンテーションをみることになるため、とりあえずここにというかたちになっている。事務所内に意匠部門はないため、構造エンジニアチームに入っているが、僕は構造計算は行わない。デスクの周りも皆エンジニアだが、デザイン能力やプログラミングを扱える人間が中心に集まっている。

僕はここに来てちょうど3年になるが、この環境のせいもあってだいぶ構造的な感覚もだいぶ身に付いてきた。ただ時としてこれが邪魔になることもある。やはり直感的なアイデアや思いつきがブレイクスルーになることもある。時には構造的に整理していくのはそのあとでもいい。どうしても力学は力強くかたちを示すからだ。来月日本にいくが、このアイデアはまさに僕が思いつきで作った模型からアイデアが動き出した。非常に難しいプロジェクトでローラン自身も悩んでいた。一つの模型をきっかけに、面白い構造的なアイデアになりつつあると思う。この試行錯誤の瞬間が毎回スリリングで楽しいのだが、今回は特にプロセスが楽しい。珍しく意匠からのスタートだが、構造的に面白いアイデアに落ちていきつつある。こういう何かしらのジャンプする要素は必要なのだろう。奇抜ではないが、シンプルかつ複雑さを兼ね備えたいいバランスのあまり他に見ない構造だと思う。

海外進出といえば、日本、南アフリカ、インドなど欧米以外の国で仕事が始まっている。日本に向けて、次に仕掛けることを考えていかないといけない。デザイン以外に僕はこういった仕掛けをする瞬間も楽しい。新しいプロジェクトが生み出される瞬間の楽しさは、経験するとやめられない。そこには様々な道のりがあり、時に交渉があり、先が見えなくなることもあるが、だからこそかすかに先が見えたときの嬉しさが大きいのだ。

5月連休は日本です。

2011/04/10

今思うこと

しばらくぶりの更新。震災後なんとなくブログを更新する気にならなかったんです。それはしっかり僕の中でわかったことがないうちは、このことについては書きたくなかったこともあるのかもしれません。遠くからニュースでながめていろいろ考え、今、ひとつ現時点で思うことがあるのです。それは、いろいろな物事や情報を、自分なりにしっかりと判断することが必要なんじゃないかということ。ちいさい存在なりに等身大の自分で判断すること。

情報や科学的データには、客観性があるようでいて、実はその解釈の仕方やデータの採取方法によって、導きだされるものは変わってくると思います。客観性ということを気にするあまり、発する自分の意見や考えが薄められていく気がします。これは遠くからニュースをみていて感じたことです。これからの僕たちは、自分で判断するほんの少し強い意志が必要だと思うんです。自分がこう考えて、こうしていくべきだというビジョンを描くことでもいいし、なにが好きで、なにを大切にしていて、どんな時間を過ごしてというひとりひとりが描くちいさな意志でもいいんです。ちいさな存在として感じたことを、はっきりと発することで、今までとは違った場所、時間を生きる意味が出てくるのではないかと思います。

また、何かを自粛したり、自分に今何ができるかを考えることは大事だけど、それによって見失ってはいけないものがあるようにも感じます。僕は自分の職業的に言えば、今すぐこの災害のために何かはできないと思っています。僕の職業が役に立つのはまだしばらく先です。いずれきっと、失った街やインフラを安全性を確保しながら、街の記憶をつなげるように、これまでとは少し違った質を紡ぎだせるようにしていくことは、必要になると思っています。この災害のためになにかできる機会が来るときまで、すこし不謹慎かもしれませんが、元気な僕は今自分のするべきことをし、これまで通り楽しむことは楽しんで過ごしたいと思います。

節電は別にして自粛したり、なにかができるかを考えて悩み落ち込むよりも、普通の日常に戻って、役立てることがあればするという方が、精神衛生上健全じゃないかと思うんです。被災した人たちの精神状態は僕には計り知れないけれど、ただ尋常じゃない精神状態の人が、周りの人まで落ち込んだ状態だったらどうかと思うと、やっぱり普通の健全な状態の人から応援してもらいたいんじゃないかと。前向きな思考が、いかに困難を突破していくかを僕はほんのすこしだけ知っているからかもしれません。

そんなわけで、僕は以前ここにも書いた日本のプロジェクトを進めています。それはきっと震災とは現時点では全く関係のないものです。いずれ救済とは違った意味での接点が生まれるのかもしれませんが、今はこれまで通り進めていきます。そんなに先を見つめなくても、強い意志があれば先は自ずとみえるものです。

また近くに小さな歩道橋とは別の新しい用件で日本にいくことになるかも知れません。僕はこれまで通り、僕なりの意志のもと、ひとつひとつ丁寧に扉をたたいていきます。元気にやっています!!

2011/02/25

議論

やはり議論することは重要だ。特に双方の見解や意見、立場が異なるときほど、スリリングで楽しい。また自分自身が気づかないことに気づくという意味でも。先週末の来客二人とは、そんな感じの議論が今後もできそうで楽しみ。

今僕は日本のプロジェクトと同時にzwolle市で行われる新しいコンペに取り組んでいる。(他には実施設計段階のオランダの歩道橋。)コンペは来週が締め切りなので結構バタバタしている。休暇で日本に戻っていたので、途中からチームに加わったが、ローランが香港出張でいないこともあり、細部の意匠は僕の方でもデザインした。日本のプロジェクトもこのコンペもどちらも面材としてのスチールの使い方にポイントがある。クノッケ以降の傾向でもあるのだが、面材としての可能性を追求している感があり、このことによってユニークな「かたち」や新しいディテールを生み出されている。

そういえば、昨日僕が調べようと思っているテーマに関する本をもらった。彼女は以前までフラマン語圏の建築協会のチーフだった人で、今年からNEY事務所のPR部門を担当している。ベルギーの建築界に詳しいので、人も紹介してくれるようだし、資料収集もアドバイスをくれるそうなので非常にありがたい。

このところ文字ばかりなので、次回は、年始のスペインの写真にしようかな。

2011/02/23

思考と設計プロセス

メモ。
ローランネイの思考を最も良く表すプロジェクトは、Knokke Footbridgeである。ここからEsch FootbridgeやSpoor Noord、Footbridge Fransmanなどのモノコックな歩道橋のシリーズへとつながっている。部材構成を極限にまで切り詰めて、スチールを面材として扱っていく。ここにはシンプルさということと同時に、接合部をなくすことによるメンテナンス面への考慮もある。また、これらのプロジェクトには装飾性という要素が備わっている。しかも装飾は、表層に付加されたものではなく、構造と一体となって存在している。

設計プロセスということとなると、College Bridgeに始まるform finding processから形態を見出す、Ring Antwerp、Hiroshima Footbridgesのシリーズによく現れている。様々な条件をバランスさせながら、構造的な解へと繋げていくプロセスを経ることでこれらは生まれる。構造を追求しつつも、条件のバランスの上に成り立つ構造解。

まだ上記は整理して考えていかないといけない。とりあえずのメモ書き。

2011/02/22

形態と構造

昨日考えたことのメモ。構造を突き詰めていった先の形態。構造とその他の無数にある要素をバランスさせた形態。この2つ、双方ともに魅力的であり危険な部分もあるのではないかということ。前者は新しい構造システムを生み出す可能性があるが、同時にあまりに専門的であるが故に最終的なかたちが、専門外の人まで引きつける魅力を持ち得ないこともある。後者は多くの人と共有されうるかたちを生み出す反面、多くの要素のバランスであるため形態と構造との関係が完全に一致しにくくなる可能性がある。

両者とも違った観点で知的欲求を満たす要素を持っている点で、専門の領域では議論を生み出す良い対象であると思う。しかし最終的には理屈ではなく心を打つかどうかだと思っているので、実際に現物をみて考えていく必要がある。形態と構造の一致ということはエンジニアの世界では自明のことのように言われてきたが、一致の程度という観点をみていくと現代の橋梁デザインを記述していけるような気がする。

この2つに関しては、スイス、スペイン、フランス、オランダで橋梁を見てきてもさほど意識的にはならなかったが、昨日のドイツとオランダからの来客と話してから、ぼんやりと頭の中に浮かび始めた。どうもドイツで橋梁を実際にみる必要がありそうだ。