2011/07/15

橋について そして その先に見えつつあるものについて


橋に本格的に関わりだしてまだたった3年である。コンペも実務も含めてかなりのことに関わったが、まだまだわからないことがたくさんあり、奥が深い世界だ。

橋は、極端にいえば2つの対岸をつなぐというシンプルな機能である。建築のような複雑なプランニング(いわゆる建築計画的な)は通常存在しない。それ故に純粋に「かたち」をどのように思考しつくるのかということが鮮明に現れるし、それをぬきには、本質的な橋のデザインはあり得ないとさえいえる。そこには、いくつかのことが関係していると思う。

まずはじめに、機能がシンプルが故に初期条件の捉え方が「かたち」に直接影響する。それは線形や地形、境界条件などの物理的な制約を解くことに始まり、法規的な制約をどのように解釈するかといったことも含まれる。つまり制約のなかでそのように要求スペックを効率よく獲得するのかともいえる。
また、橋をどのように架けるかということも重要なテーマである。建築でも施工をどのように行うかは重要だが、橋のように水平方向への大きさを持たないため、何かを跨いだり、地形と対峙するような施工はほとんどない。
3つ目は、ジオメトリーだ。これも「かたち」をどのように構成するのかという製作上の問題と意匠の問題を含んだ重要なテーマだ。現実的にある種の合理性もって「かたち」を存在させる上で重要なのである。「かたち」の背後にある規則性の根幹でもあり、流行のパラメトリックデザインもこの問題と大きく関係する。
そしてこれら3つの間に力学が常に介在する。乱暴にいえば、これらの4つを複合的に捉えた上で、美しい解を個々の設計者の捉える「合理性」の概念の中で見いだす作業が橋を設計することだとさえ思っている。もちろん、架設や合理的な材料の使用は環境負荷とも関係するし、シンプルな幾何形状はメンテナンスとも関係するので、上記のような4つという単純な話ではないのは、十分承知の上だ。

上記が僕なりに感じているエンジニアの思考の基本部分だ。スペックを満足した「かたち」が重力のある世界で現実に存在できることと、最小限の材料による軽量化や長寿命性を志向した先に経済的合理性が見え隠れすることで、社会の中で合意を得やすいのである。

しかし、これだけでは何かに欠ける。どこか人間味がないと思うからだ。そこにスケールの問題を加える必要があると思うのだ。身体性やヒューマンスケールとも空間性ともいいかえられるが、僕が今考えているのは、実はもう少しプロポーションとか様々なスケールの対比から呼び起こされる感覚を生み出すスケールへの意識のようなものなのだ。(まだうまく言語化できていない。アスプルンド、メルクリなどの建築で強く感じた。橋だと日本で見たいくつかの石橋などでも感じたことがある)人の行動、感覚に影響を与えるような空間のプロポーションやスケールの構成があるのである。感覚的に気になった場所でスケッチをしていて、意図的につくり出されていることに気がつくことがある。

これらに加えて文化的歴史的要素などを考えていくと、扱う要素は複雑になっていく。この複雑性を新しい技術を活用しながら、どのように統合的に解くかがこれからのデザインのテーマだと思う。ベルリンの講演会の前に取り組んだコンペ案でその一つのヒントが見えた。統合的な解を導く際には、かたちと解析を横断する思考が必要で、さらに複雑さを解くにはプログラミング技術が必要となる。この横断的なシークエンスを感覚的な判断を伴って進めた先に次のステップがある気がする。

エンジニアの思考を整理しつつ、スケール、複雑さを解く統合的な規則性の2つをデザインをしていく上で考えようと思う。

追記:
さらに書くと、上述の4つ+スケール、複雑性などがかたちをつくる思考の問題で、これとは別に、社会に構造体を存在させる戦略が必要なのである。制度の問題や、思考を伝える言語の問題(プレゼンテーション)、そして資本の流れを読むことなど、より社会的な問題が発生する。日本に関していうと、この問題ををまずやらないと僕がヨーロッパで体感しているような世界は訪れないと思っている。


いずれにしてもまだよく整理できてはいない。ここに書いたことはかなり乱暴な捉え方だが、整理するために外に出す必要があると思ってのメモ書き。