日本に戻って2ヶ月があっという間に過ぎた。1週間ほど休みをとったが、それ以降は事務所開設と同時に新しく仕事が入ったり、出張があったりと慌ただしい日々になっている。欧州から戻ってみると日本は生活のスピードが早い。早すぎる。ブリュッセルという小さな街にいたこともあるのだと思う。
帰国後最も大きく感じるのは、東京は、極端に人工的に綺麗な場所か、殺伐とした混沌か、居心地のよい空間を見つけるのに苦労する。ただ1点、ゴミがなく異常にきれいなことは日本だと思う。また東京に限らないが、他人との距離が遠い。コミュニティと騒ぐのも無理はない。ヨーロッパが全ていいわけではなく、向こうは向こうで面倒な事や不便さがたくさんあるのだが。
11月にはオープニングも予定している。準備も佳境に入る。
そういえばこんなニュースも。国際コンペまで実施した平和大橋歩道橋が建設中止。国際コンペと大きく謳って、この結果はあってはいけないことである。自ら道は切り開くしかないのが今の日本の現状なのだと思う。
2012/07/07
2012/06/28
2012/05/01
2012/04/19
表現とか新しさとか
表現とか新しさとか革新性とか以前に、潜在的なニーズを読むことや、どのように社会と接点をもつかという基本的なことが重要だと考えている。今の環境に来て、ますます社会との関係の中でのデザインに僕自身の興味は向かっている。
特に日本での公共空間でのデザインにおいては、デザイン以前にやらなければ行けないことがたくさんある。ここを忘れてしまうと、いつまでたってもこの職能は社会から離れた場所に位置づけられたままになる。だからといってコミュニティーといってしまうのではなく、「モノ」として社会に定着させていく方法があると思っている。そのためには、ありきたりだが広くみることが必要で、あたりまえのことの中にヒントがたくさんある。
日本で欧州のようなコンペの機会を待っていても何も始まらないし、世の中はその方向に流れていない。まずは土壌を耕す時間が必要だ。
投稿者
渡邉 竜一
ラベル:
思考
2012/03/15
ラカトン&ヴァッサル
ラカトン&ヴァッサルのETHでの講演の動画を見る。あまり詳しく設計思想に触れることがなかったが、対費用効果を重視しつつ、グリーンハウスをキーに自らの表現につながえてくあたりに共感を覚える。倫理的な思想が根幹にあった上で表現につなげようとしている。
出来上がった建築は少々無機質な感じがあるが、内と外の関係性、気候のコントロールに思考の中心があるので結果このようになっているようだが、実際体感してみないとなんともいえないのでお隣のフランスまで見に行こうかと思っている。基本的なフレームを用意し、あとは利用者が色を加えていくことで空間になる。システムを用意するというこういった設計思想がどういった空間を生み出しているのかに興味が惹かれた。
2012/02/17
2012/01/03
ヘルシンキ
このリアリティをつくることがデザインだと思う。心地よさや空間の持つ雰囲気のようなものは、設計者の生活のリアリティがそこに大きく影響している。僕が心を動かされた空間や構造物にはそれがあるのだと思う。眺めて美しい造形的に優れたものや技術的に革新的なものであっても、生活のリアリティの欠けた空間や構造物は、風景の中で鑑賞して楽しんだり、知的好奇心から楽しむことはあっても、最終的には僕は興味が継続しない。アアルトの空間はリアリティがあった上で、技術的に新しい要素も取り込みながら造形的に美しいから魅力があるのだ。
建築空間だけでなく家具や金物、テキスタイルなどを組合わせながらつくり出すスケール感によって生活空間のしつらえを獲得していることが体感できた数日だった。ただ不思議と橋や道路などのインフラはあまり質が高くなかった。室内で多くの時間を過ごすからなのだろうか?
とはいえ、この街は建築や構造物をみる以外にも買い物をしたり、カフェでゆっくり時間を過ごしたりするなど様々に楽しめるので、旅行にはおすすめ。
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