2008/06/20

ブリュッセル散歩

ポテトの消費量はヨーロッパ1位だそう。確かにここのジャガイモはおいしい。フレンチフライ(フリットという)をビールと一緒に食べるのが、ベルギーの昔からの習慣のようだ。週末だけでなく、あちこちのバーでフリットを食べる人を見かける。

有名なお店をこちらの人に聞いて、早速いってみた。ベルギーらしいものといったら、フリットだと教えてもらった。2ユーロでかなりの量のフリットが買える。これを片手にバーに入り、ビールを飲む。この地区では、フリットだけ持ち込んでも良い。

ビールは、Jupirarがこちらの一般的なもっとも飲まれているビールだとか。サッカーなどの観戦時はこれを飲むといっていた。男はみんなこれだとも言っていた。他にもたくさんあるが、やはりヒューガルテンはおいしい。しかも安い。ビールやチーズなどは日本よりも安いし、おいしいものが多い。特にチーズ。ビールは温度や専用のグラスが銘柄ごとにあり、こだわるお店では一日ではみきれないほどの解説が書かれた数十種類以上の銘柄のビールのメニューがある店もあるそうだ。

とにかく街の中を歩くと平日でも夕方5時くらい(といっても日没が22時くらいなので、明るさ的には日本の昼過ぎ)からバーには人が集まっている。時間の流れはゆったりとしている。









2008/06/18

都市の構造

パリもブリュッセルも、広場を中心に街路は放射状になっていることが多い。なので、街の中を散策していると、方向感覚がなくなることが多い。格子状の都市構造とはこの辺りが違う。わかりやすく機能的であることから、格子状のプランが生まれてきたことを実感できる。

ただ、方向感覚がなくなることで、目的地に向かっていたつもりが、違った方向に進んでいることが結構楽しかったりもする。思いもよらなかった場所に出会うからだ。迷うことは必ずしも悪いことばかりではない。

機能的であることが必ずしも良いこととは限らない。多少使いづらくても、わかりにくくても、そのことによって別の価値が生まれることもある。道が通過し、歩くだけの場所でないように。計画学的な機能の分類だけでなく、都市や空間をみていくことの重要性をあらためて実感している。

2008/06/13

アントワープ

アントワープ。
学生の頃、ちょうど王立アカデミー出身の服飾デザイナーたちが世界中で紹介され、この街は一気に有名になった。建築学科時代、建築よりも彼らの創り出す服の方に僕の興味はあった。ファッションは音楽ととも非常に近い。ミュージシャンにインスピレーションを得て創られるコレクションもあるくらいだ。

建築はどこか重たく、ちょうど僕らの学生時代は、マックを使ったプレゼンが学校でもはやりだした頃でもあったせいもあり、実際にモノとして出来上がっていく際に生じる重たさや、イメージとのギャップに、いまいち物質として存在するということに興味を持てないでいた頃のことを、この街に向かいながら思い出した。今は、モノとして存在する構造物を創ることを求めて、この頃とは違った思考のもと、ベルギーにいる。

ブリュッセルから鉄道でアントワープへ向かう。列車は1等と2等があり、2等車でも十分きれいで快適だ。往復でチケットを買うと一人7ユーロ。急行にも乗れる。ブリュッセル市内を抜けて北上していくと、周囲はあっという間に田園風景。牛や馬のいる牧草地帯になる。1時間ほど鉄道に乗るとアントワープ中央駅につく。中央駅は最近改修が行われ、モダンな改修部分に列車は到着する。

あまり情報もなく訪れたのだが、駅構内のサインがかっこいい。機能的でなければならないということを逆手にとって、非常に大きなピクトやパターンが空間の中に施されている。しかも、コンクリート面に型抜きされたピクトや、電工表示板の色、大きく単純化された行き先案内など、非常にインパクトがありグラフィカルな空間だ。

既存の駅舎は石造りの部分と軽やかな鉄骨造の部分からなり、これらと非常に対比的な創られかたになっている。これは建築的な要素というよりグラフィックの影響でそう感じるのだと思う。鉄骨造の部分は、アントワープは重工業や造船の街としての歴史があり、おそらくその時代のモノだろう。時代ごとのレイヤーが重ねられている。今の事務所の仕事での鉄工メーカーはアントワープの会社がいくつかある。鉄の街なのだ。

着くなりグラフィカルなピクトの使い方に興奮し、同時に鉄の匂いを感じさらに魅せられたのだと思う。ファッションの街としての顔をもったアントワープの駅舎としては、こういう改修の在り方もありだと思う。

またさらによく見ていくと、グラフィカルなサイン部分以外(駅構内の時計や何気ない壁面など)は、シンプルで上品に作られている。全体としては様々な時代がミックスされ混在しているという印象だが、シンプルで収まりよい在り方よりは、この街にあっている気がする。機能的なグラフィックの持つ表層性の軽やかさと、それとは別の位相にある中世の装飾と19世紀の鉄から受ける歴史の意味からくる重たさの対比を、ここを訪れる人はどう感じるのだろうか。

まだうまく整理がついていないが、ファッションや音楽やグラフィックのもつ軽やかさと、構造物の圧倒的な物質としての存在感、相反するこれらの関係について、考えなくてはいけないと思う。

建築的な空間の価値と、たとえ表層的であったとしても(実際はそうではないものもあるが)人を魅了するファッションや音楽、グラフィック。そんなことをアントワープで考えていた。パリで感じた歴史との関係とは、また違った在り方をみた。今という新しい歴史を書き換えるような構造物の在り方もある。









パリ、装飾

パリの印象は、街の中の至る所に装飾が施されていること。
時にはくどく感じることもあるほど。特にルーブルを訪れると特にそう感じる。しかし心地よいときもある。マーケットやカフェなどの日常の背景に、装飾の施された風景があるのは心地よい。気取らず当たり前にそこにデザインがある。

セーヌ川に架かるソルフェリーノ橋は、モダンでありつつも構造体の形態が複雑なことや各々の部材が立体的にデザインされていることもあり、どこか装飾的でもある。この装飾的な印象が、この橋を街にとけ込ませるのに一役買っていると思う。シンプルさだけならば、おそらくこうはならないだろう。

人が感情移入するのには、装飾は重要だと思う。また、わかりやすい。様々な議論の前に、時にはわかりやすさが必要だ。造形的、装飾的であることは、どこか表層を問題にしている感もあるが、この場合は橋という構造を中心に成り立つ構造物であるせいか、この装飾的であること造形的であることが、表層的な印象は受けない。

パリに来て構造物が装飾的であってもいいと感じた。歴史の中での連続した時間の一部として、これらを存在させるデザインなら。