2008/08/19

東京、読書

本から本へと渡り歩いているうちに、思わぬ良書に出会うことがある。当然誰かが引用している訳なので良書であるのだが、まさに今の出会うべくした感の本であることがある。

この夏、幾冊かの本を読んだ。
その中の一つが「雪あかり日記」
谷口吉郎のドイツ建築巡礼旅の日記だ。
10章からなり、それぞれに、うすら寒い日、鉛色の日、凍てつく日、、、など日々の背景となる情景が浮かぶようなタイトルがつけられている。

19世紀初期の建築家シンケルを見てまわった日々を綴っている。
大戦前の緊迫した様子が漂う文面のなか、合理主義建築の流れの中で立ち止まり、建築のもつ原初的な力について思考している。20世紀の合理主義建築の考えからは、ギリシャに回帰しようとする古典主義建築は、過去の模倣とも取られかねない。

しかし、シンケルの「無名戦士の廟」を見、この古典主義建築の重々しく力強さを前にしたとき、建築の「形」の持つ力を再確認している。そして、「用途をとび超え、時代を超越し、過去の「形」から強い表現力が新しく発揮される場合のあることを認めねばならない。あるいは建築の種類によっては、そんな「形」の問題こそ、その建築の全目的となる場合がある」と書いている。「無名戦士の廟」は建設当初は近衞兵所であったものが、後に戦死者をまつる廟へと用途が変更されたものだ。

この秋再度ベルギーに戻った際、ベルリンにいこうと思う。
シンケルはシュロス橋という橋も設計している。
ヨーロッパでは土木においてデザインがなぜ必要かという前提の議論ではなく、どう創るか、なぜその「かたち」なのかから議論が始まる。「かたち」の問題は、これから日々格闘しなければならない問題だと思う。そして、同時に日本の土木にどのような形で「かたち」の議論を持ち込むかをこれから考えなければと思う。