ふと思ったことのメモ書き。
土木で景観と言った際に、よく耳にする言葉がある。視点場、つまりビューポイントという言葉。ある風景が美しく見える場所であったり、最もその風景を楽しめるポイントという意味である。土木構造物は、風景の中におかれた時に、遠景から眺めるものという考えがここにはあると思う。確かに立体物としての土木は、ダムや橋梁、山間部の土留めなど遠くから眺める可能性が高いものも多い。また立体物ではないものとしての公園や道路なども、面的なものが対象なので、人の視界を意識しながらデザインするからということもあるのだと思う。
視点を意識することが重要になると、当たり前だが、見え方が重要になると思う。その結果、風景に馴染む、風景にとけ込む、調和する、異物となる、調和しないということが大きな評価軸となる。街路や河川などの”かたち”になりにくい対象であっても、橋梁やダムなどの構造体として”かたち”が強く存在する対象であっても、見え方という思考が根底にあると、周囲の風景とのバランスが大きな要素になる。これは重要な視点だと思う。
ただ、もう一つ、空間という言葉を考えてみる必要があると思ったのだ。土木は建築のように何かを包み込むような空間の有り様は少ない。でも、都市内の広場や街路は建物などの構造物以外の残った場所とみると、土木の空間は、図と地でいった地としての、つまりVoidとしてあるし、自然の中に何かをつくると言った場合にも、自然の風景という3次元の空間の中に、人の営みを支えるものを挿入していくことになる。
ヨーロッパで週末、広場や公園に行くと、人の営みとしての空間を感じる。人が集まったり、寝転がったり、食事したり、会話したり、行為のための空間になっている。行為のための領域が生き生きと緩やかに変化している。直接的な”かたち”をもった空間ではないが、営みのかたちとして空間として感じることができる。これらを支えるために、ちょっとした構造物やしつらえがなされている。
橋梁などのかたちをもった構造物も、空間を意識すると橋の桁下や橋上の空間の広がり、3次元の中で線形をどう決めるかなどたくさんの人の行為に関係した考えるべき問題が出てくる。
大事なのは、空間を考えることが人の行為につながってくるということ。空間を考えるときに人は、身体のスケール感が基準になるからだ。土木における空間という概念をもっと考えることで、いまよりもっと多様な評価軸が生まれる気がしている。