これまでバラバラと日々漠然と考え、メモに書き残してきたことの一部をつなぎ合わせていったことで、公共性を確保していくためにはどういったことが設計プロセスにおいて必要か、また行政システム、設計を含めた広義での公共空間におけるデザインプロセスにおいて、住民参加といった合意形成プロセスとは別に、設計サイドからできる可能性について多くのことに気がつくことになった。
そして何より興味深い点は、公共性を考えていった結果、構造と意匠が融合していき、それがエンジニアとしての思考から端を発しているからこそ可能なことでもあったという点だ。僕自身は建築意匠側から橋梁もしくは土木の分野に入った人間だが、今の環境いたからこそ、このことの持つ意味の重要性が理解できるのだと思う。意匠だけでもなく、構造だけでもなく、コストのことだけでもなく、工法のことだけでもなく、すべてを統合的に思考するからこそ可能なことがある。その上ではエンジニアとしての思考は非常に重要であるし、またエンジニアが意匠的な思考ができることも同時に重要なのである。
つまり構造、意匠、どちら側からでもいいのだが、双方を横断できる存在、そしてその教育が今もっとも必要なことなのである。建設が社会悪としてみられつつある現在の日本の状況において、公共的に共有されつつ次世代に残せるものを生み出すためには、このことにもっと意識的にならなくてはいけないと思う。
ここでいう統合的なプロセスは、構造と意匠のコラボレーションというよくいわれる恊働プロセスではなく、まったく新しい(もしくは新しく意識化された)プロセスなのである。
福岡ではその一端を紹介したが、今後このことはしっかりまとめていこうと考えている。