結果は悔しいが、潔い負けなのだと思う。いいものを思考するからには当然それなりの対価は当然必要だ。そこが僕たちの仕事の価値だし、評価でもある。要項にコストが重要なことはもちろん記載はあったので、提案内容では必要最低限の中での最善の案をつくった。設計料はいくらでも下げることは可能だが、そこは行わず通常の範囲で設定した。
価格競争は経済原理で当然のことのように思われているが、そのことによって僕たちは貧しさを買っていることもあることにそろそろ気がついてもいい頃だと思う。今回のコンペのケースでは感じないが、ふと日本の講演会の際に、必要以上に「コストがコストが」と質問している人を思い出した。100年以上も残っていくものをつくるのに、短期的な視点でコスト一辺倒は悲しい。何が合理的か、本当の意味で最も経済効率が高いか、そろそろ転換する時期だと思う。合理性ということも、これまでとは違った多様な価値を統合した上での合理性のようなものがこれからの合理性だと思う。