もののかたちは、思考の結晶なのだと思う。ある時は機能から、ある時は美的感覚から、又ある時は成り立つための構造から決められる。それは立体のみならず、平面においても映像においても同様なのだと思う。
ただ、ネイアンドパートナーズに在籍して感じているのは、ここでは何かいい、おもしろいとかいった曖昧な言葉のみでかたちは議論されない。かたちは必ず現実に存在しなくてはならないからだ。もちろん歴史や場所性といったコンテクストが、かたちに影響することもあるし、求められる条件が前提となる場合もある。ただ、片足は必ず構造の、力の流れの世界に入っているのである。そうすることで存在理由がしっかりと共有される言語になるのだ。力学というベースを基本に置きつつ、複雑な条件を思考していった結果がかたちに結晶するのである。それ故、的確で合理的なプレゼンテーションが可能となる。
力学という絶対的なものに縛られると、従来の形式から離れられないように感じることもあると思う。しかし、コンピューターを使ったある種の解析や形態探索は、時として思わぬ結果にたどり着くことがある。この辺りが現代の構造の最先端の一端なのだと思う。そしてそのプロセスにおいては感覚的な要素も入り込むのだ。つまり生活の中で感じているかたちの有り様、自然界のかたちの有り様は、みな感覚として持っていて、かたちを選び取る際、その方向を決める際に影響するのである。もう片方の足は、PCという他者の中に、もしくは、直感の世界にある。講演会でローランがもっとも影響を受けたものはという質問に「自然そのもの」といったことは、この辺りに関係していると思う。
力の流れを意識するというアプローチは古典的ではあるが、これを基本にすることでかたちの存在理由は絶対的なものとなる。壊れないこと、倒れないこと、安全といった誰もが共有できるポイントをクリアできるのだ。もしくは最小限で最大限の効果をというエンジニア的な思考は、コストの問題をも乗り越える。
「shaping forces」、今年4月22日から現代美術館で開催される展覧会は、そんな思考を披露するつもりだ。ネイアンドパートナーズの仕事は、表面的なかたちのみをみていると、ユニークらヨーロッパ的なデザインのひとつと捉えられがち(ほとんどの人はそう思うだろう)だが、実はその内容を知ると、耐震偽造で騒がれた安全性の問題、昨今の道路行政でのコストの問題といった建設業をおおう暗い話題を乗り越えるヒントがそこにあるのである。
かたちのアウトプットは、象徴性を求めるヨーロッパならではのクライアントの要求が影響しているが、アプローチ、思考プロセスは日本でもきっと有効なのだと思う。日本特有の要求をローランの頭の中に伝えきれたとき、日本でその思考の結晶が生まれたとしたら、これまでの事務所の作品とは違ったものが生まれると思う。