建築家が力学から遠ざかって久しいが、そもそもクラフトマンシップが有効だった時代(今も残ってはいるが)には、建築家も構造を理解していた。ここでいう構造はなんにも構造計算のことではない。大きな意味での力学の基礎、かたちと力の関係のことなのである。また、アーチとかトラスといった形式のことでもなく、かたちと力のより原理的な部分という意味ある。
こういった部分を負担できる職能というか領域はきっと必要なのだと思う。今のこの環境では建築家との協働もあるが、ほとんどのケースでかたちはこの事務所で決めることとなる。
意匠と構造、建築家と構造家といった近代の細分化のの中で出来上がったカテゴリーの間に、現代的なトピックが潜んでいる。同様のことが建築、土木といった区分にもあるし、道路境界線といった線によって街が切り分けられてしまう問題にも言える。
建築とか土木といった区分よりも、街を生活環境をどうよくしていったらいいか、要求にどう答えればいいのかといった本質をみていくと、意外と不況とはいえ世の中にはデザインが必要とされる場所があるのだと思う。そこの時デザインは美しいもしくはユニークなかたちをかんがえるということではないのかも知れない。でも結果、目に見える見えないは別として何らかの思考の美しさが備わらなくてもいけないとも思う。