2010/12/24

つくること

このブログではヨーロッパでのことを書いているが、僕は日本もヨーロッパもどちらがすばらしいとも悪いとも思っていない。ただ本質を捉えている環境というのは存在する。たまたまそれがベルギーにあったというだけだ。よくなぜヨーロッパなのか、ベルギーなのかと聞かれる。本質的に自分がいいと思うものをつくりたい。そう考えたときに、ここに来る選択に出会ったというのが正直なところだ。

そして今思っているのは、論考も批評も大切だが、つくることが最も重要だということ。デザインプロセスについて考え始めている僕が言うのも矛盾するが、過程も大事だが、やはりかたちとなる結果、実現させるということが最も重要だと僕は考える。しかもそれがどこまで純粋な思考を反映させているかということにこだわりたい。だからこそ表現だと思う。

制度の違いも、条件の違いも予算の違いも言い訳にはならない。何を考え、何を実現させたかがすべてだし、現状に存在しないなら自ら状況を生み出していくしかない。ここをこうしたかったけれど、予算がなくて、、は言い訳でしかない。

「かたち」は思考の結晶である。その思考を多くの人と共有するデザインプロセスがある。つくること、結果にこだわることと、プロセスを考えること。相反する2つのことを解く先に現代性が見えてくると思う。

ようやくこのことを形にしていける状況が見えてきている。デザインプロセスについての論考をまとめることと、ヨーロッパではなく日本で「かたち」をつくることによって。

2010/12/22

日本の仕事

ここ数日、日本の仕事の話が2つ動いている。詳細はどちらも書くことはできないが、ひとつは長大橋、もうひとつは小さな歩道橋。対照的なプロジェクトだ。対照的なのは規模ではなく、関わる人間の新しいことへトライしようという姿勢、志だ。

今日もローランと話したが、僕たちが提案することへの期待や、提案を大切に考える人たちと仕事をする必要がある。それは自ずと仕事の条件にも反映されてくる。日本では、契約やデザイン料などの交渉を曖昧にすることや、条件や金額の交渉をすることがどこかはばかられる風潮がある。しかし、今の僕の環境は違う。仕事の条件や金額は、僕たちの能力への評価や期待でもあるからだ。お金が最も重要だと言いたいのではないが、金額が少ない仕事は相手の緊張感もないため、なあなあになることが多い。もちろん少ない金額で志のある仕事もある。しかし本当に相手に志があるときは、次回に必ず金額に見えてくる。

また、僕たちのようなアイデアを核とした仕事は、時間給の単純労働でもないし、具体的な形に値段をつけて売るのとも違い、金額設定の際には形は目に見えていない。つまり能力を信頼して、いい提案や仕事に期待をして、相手は条件や金額を決めるのである。だから、そこは相手からの評価と表裏一体になるという一面もあるのだと思う。

不景気だといわれる今、価格の安さだけが評価軸になりがちで、また、価値基準が規格化されてしまっている現代では、人としての能力に期待して信頼して、仕事を依頼することは難しいことだ。だからこそ、そういう仕事には全力で答えないといけないと思う。
ちいさな歩道橋のプロジェクト。これが日本で初めてのネイ&パートナーズの仕事となるはずだ。


2010/12/20

コンペ

先日参加したオープンコンペの結果が出た。久しぶりの負け。2等。いい提案だったので非常に残念。提案内容の得点は僕たちの案がトップ。敗因は設計料。1等はグレイシュ事務所だそうだが、設計料の見積もり額が大きく違っていたようだ。やはりこのご時世、世界中どこでもコストはシビアである。

結果は悔しいが、潔い負けなのだと思う。いいものを思考するからには当然それなりの対価は当然必要だ。そこが僕たちの仕事の価値だし、評価でもある。要項にコストが重要なことはもちろん記載はあったので、提案内容では必要最低限の中での最善の案をつくった。設計料はいくらでも下げることは可能だが、そこは行わず通常の範囲で設定した。

価格競争は経済原理で当然のことのように思われているが、そのことによって僕たちは貧しさを買っていることもあることにそろそろ気がついてもいい頃だと思う。今回のコンペのケースでは感じないが、ふと日本の講演会の際に、必要以上に「コストがコストが」と質問している人を思い出した。100年以上も残っていくものをつくるのに、短期的な視点でコスト一辺倒は悲しい。何が合理的か、本当の意味で最も経済効率が高いか、そろそろ転換する時期だと思う。合理性ということも、これまでとは違った多様な価値を統合した上での合理性のようなものがこれからの合理性だと思う。

2010/12/11

ベルギーのおすすめ(2)Bozarの展覧会

先のブログに書いたLucas Cranachの展覧会。絵画は詳しくないが、この人調べていくと面白い。ちょうどドイツで印刷技術が発明されたころであり、宗教改革の時代の人である。Bozarの展覧会の解説をみていくと、画家でもあるが、同じ図案を工房に人をかかえながら生産していたり、絵画の中にテーマを補足するテキストが挿入されたり、グラフィック的な要素がみられる。

表現としては古典的な絵画なのだろうけれど、現代的な要素がみられ、きっと当時にすると前衛的な表現が含まれていたのだろうと想像する。展覧会はその背景や展示のテーマ、キュレーションの意図がわかることで、より楽しむことができる。これまでは退屈に思っていた古典絵画の展覧会にも、見せ方によって違った光が射すのだと思う。

Bozarの展示はそこまで丁寧にはできてはいないが、その背景を自分で知ってからいくと、空間構成と共に楽しめる。

Bozarの展覧会は良質ものが多い。ベルギーのおすすめである。

2010/12/10

Vernissage

今夜はBOZARのSVERRE FEHNの展覧会のオープニングへ。会場にナタリーもきていて、少し話す。展示を一緒に見て、ナタリーは友人とコンサートへ。僕は、一時間で帰る予定が、イワンとステファン、ヤンの3人と話し込んで、その後夕食へ。

関係者の夕食にまぎれながら、いろいろな話をする。すると終盤、BOZARのディレクター、ポールジャルディンがきて、特別に他の展覧会場への入場許可を取ってくれた。夜間に通常は入れないのだが、そこは美術館のトップ。すぐさまセキュリティが解除され、中へ。

「The World of Lucas Cranach」はおすすめ。16世紀の画家Lucas Cranachの展示だが、コンテンツもさることながら、レイアウトが秀逸。以前ブログに書いたOFFICE KERSTEN GEERS DAVID VAN SEVERENによるもの。

展示ルートの統一感を保ちつつ、コンテンツごとに微妙な差異を与えていた。一見普通。しかし、微妙な差異や視覚的な空間の連続性の変化によって、この種の展示の単調さを回避しつつ、普通の人には気がつかないほど繊細な工夫が凝らされている。しかもつくりすぎていないし、カテゴリーごとに説明を読む休憩スペースが用意されるなど、非常に機能的にもよく考えられているあたりは、ベルギーの建築家らしいところだ。1月末までだが必見。一般の人にも伝わるデザインを考える上では非常にいい例だ。

その後、イワン、ステファン、ヤン、ポールジャルディンと記念撮影をし、イワン、ステファンとビールを一杯飲みにいく。今後の話をして、僕は地下鉄で帰宅。

今夜は有意義で楽しい夜だった。イワンとステファンは、僕の彼女にどっちが先に会ったか、たくさん話したことがあるかで言い合っていた。

2人は、これからのベルギーの建築、土木シーンの中心にいることは間違いない。このあたりのことはまた後日に。

2010/12/08

多様性、公共性

ハーバード大学の講義がwebcastでみることができる。コンペ明けの日曜日にみた。Jürg Conzettの回は特に興味深い。今回のベネチアビエンナーレの展示のためのリサーチを話の中心に据えながら、彼の思考に焦点が当てられている。観察の中から、構造物の価値を評価する軸を独自に言語化し、自身のデザイン思考につなげていることがよくわかる。

構造と意匠を統合する教育や、そのためのデザインプロセスに関しては、まだ明確になっていない部分が多く感じられるものの、プレゼンテーション全体を通して、構造を評価する価値は、状況や場所に応じて多様にあるべきことを伝えようとしている。

僕の今の環境でも同じことを違った表現でプレゼンテーションしている。僕たちがとっている方法がよりデザインプロセスを透明にしていくことに主眼が置かれたプレゼンテーションなのに対して(ここには公共性ということがある)、彼のプレゼンは、より概念的に(もしくは思想的に)同じ問題を表現しようとしている。

僕は、多様性ということは、現代的な問題であると思っている。構造デザインにおいてはこれから特に考えなくてはいけないテーマだと思う。エンジニアは構造解析や技術的な問題を数学的に解くことに集中していくと、ある価値を絶対的に信じがちになる。多様性と逆行する方向なのだ。

多様性というのは、一見簡単にできそうに見えて、非常に厄介な言葉なのだ。ここでいう多様性は、かたちのバリエーションという意味ではなく、場所固有の価値を見いだすこととつながっている。

場所固有の価値(固有性)と、力学もしくは技術的な価値(普遍性)が合わさった先に、本当の意味での意匠と構造の融合がある。このことは実際のプロジェクトの中で思考し体感しないと理解できない部分でもある。

多様性、公共性。この2つは僕にとってキーワードなのである。

shaping forces

今年春ベルギーの現代美術館で行われた展覧会に合わせて出版された書籍。南洋堂とアマゾン、京都の大龍堂で購入可能。

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2010/12/05

11月のこと

少しずつ時間をみて、11月に考えたことをまとめていこうと思っている。今年のローランネイ講演会は、東京、京都、福岡の3都市で行われたわけだが、特に福岡の風景デザイン研究会主催の風景デザインサロンで、僕自身が話した「構造デザインにおける新しい設計プロセスー欧州でのコンペ事例を通じて」は、僕にとっても非常に多くのことに気がつくきっかけとなった。

これまでバラバラと日々漠然と考え、メモに書き残してきたことの一部をつなぎ合わせていったことで、公共性を確保していくためにはどういったことが設計プロセスにおいて必要か、また行政システム、設計を含めた広義での公共空間におけるデザインプロセスにおいて、住民参加といった合意形成プロセスとは別に、設計サイドからできる可能性について多くのことに気がつくことになった。

そして何より興味深い点は、公共性を考えていった結果、構造と意匠が融合していき、それがエンジニアとしての思考から端を発しているからこそ可能なことでもあったという点だ。僕自身は建築意匠側から橋梁もしくは土木の分野に入った人間だが、今の環境いたからこそ、このことの持つ意味の重要性が理解できるのだと思う。意匠だけでもなく、構造だけでもなく、コストのことだけでもなく、工法のことだけでもなく、すべてを統合的に思考するからこそ可能なことがある。その上ではエンジニアとしての思考は非常に重要であるし、またエンジニアが意匠的な思考ができることも同時に重要なのである。

つまり構造、意匠、どちら側からでもいいのだが、双方を横断できる存在、そしてその教育が今もっとも必要なことなのである。建設が社会悪としてみられつつある現在の日本の状況において、公共的に共有されつつ次世代に残せるものを生み出すためには、このことにもっと意識的にならなくてはいけないと思う。

ここでいう統合的なプロセスは、構造と意匠のコラボレーションというよくいわれる恊働プロセスではなく、まったく新しい(もしくは新しく意識化された)プロセスなのである。
福岡ではその一端を紹介したが、今後このことはしっかりまとめていこうと考えている。









コンペ verviers

リエージュのすぐ近くにあるVerviersという街にかかる歩道橋のオープンコンペ。新設される大型ショッピングセンターと対岸をつなぐ30mほどの小さな歩道橋。今回は最終案を決めるのにかなり苦労した。めずらしく様々な方向に紆余曲折した結果、興味深いかたちを探すことができた。最終的な判断は、都市的な位置づけと力学的思考を明確に表現した「かたち」であるかどうかが決め手となった。つり構造とアーチ構造の中間的な非常に軽やかな提案となっている。

昨日夜中に仕上がり、その後マチューと一緒に、ローランの家で会食。ラクレット(スイス料理)とおいしいワインをいただく。少し違うけれど日本でいう鍋料理的な感じで冬の定番のようだ。コンペは、月曜日早朝に提出となる。

2010/11/27

日本

日本には日本の色彩があり、日本のかたちがある。
今回で撮った写真を見返していて、あらためて思った。
どこかしっとりとしていて、少し陰のある色彩と、はっきりとした輪郭をもっているようでいて、実は作り替えられていくこと、代謝していくことを内部に秘めた刹那的な要素を備えているかたち。その中でどっしりとしたかたちをもっているのが、熊本城の城壁だ。そう考えると移り変わること、普遍性をもつことの相反する両側面が日本にはあるのかもしれない。
海外生活が長くなってきたせいか、日本に戻るといろいろなことに気がつくことが多くなった。










2010/11/23

MAC

ようやくMACBOOKPROが修理から帰ってきた。一ヶ月半。。。
書くことがたくさんたまっているので、少しずつアップしていきます。

ちょうど先週まで日本でした。講演会のことやその間考えたこと、僕自身新しく気がついたことがあって、ここに書いておかなければと思っています。とにかく今回の日本は収穫がたくさんありました。

仕事はというと、昨日からベルギー国内の歩道橋コンペに取り組んでいます。締め切りまであと2週間。

2010/10/04

読書

今日はクロード・パラン、ポール・ヴィリリオによるサン・ベルナデット・デュ・バンレイ教会についてまとまられた本を読む。「oblique function-斜めの機能」という概念に触れながら、教会の建設経緯、その当時の2人の思想の経過をたどれる良書。oblique functionという概念は、僕が今考え始めている3次元曲面によって生み出される身体性、空間性について、ヒントになりそうな気がしている。しかもモダニズムの垂直性によって分断されたコミュニティの再編成のための有効な概念としても捉えていたようだ。公共空間における身体性、動きを伴った空間性。そしてコミュニケーション、共有ということ。今日は、僕自身へのメモ書きとして。

やはり歴史を観ていくことは重要なのだ。

今日の夜は、日本からの友人を案内して、ムール貝専門店へ。相変わらずのあわただしい人だった。

2010/09/26

カンブル修道院

ブリュッセル市内中心部、ルイーズ通りのすぐ近くにひっそりとあるシトー会の修道院。ゴシック・レイヨナン様式とフランボワイヤン様式で建造された美しい付属教会堂と庭園が見学できる。様式が混合されていて各時代で改修を重ねてきている遍歴がよくわかるのが面白い。派手さはなく質素なつくり。

訪れたときはちょうど小雨が降っていたが、教会に入った途端、一気に晴れ上がり、中庭を通して側廊の木製の扉から、光が差し込んできたのである。石造りの重厚な空間が一気に柔らかく感じられた。中庭の配置と光の差し込み方のバランスがこの空間を生み出している。こういう微妙な空間のニュアンスは写真では映らない。体感してみる価値がある場所だ。

建物周辺は、カンブルの森と呼ばれ、緑に包まれる庭が広がる。高低差をうまく利用して計画されていて、中心部の喧噪から一気に雰囲気が変わる。12世紀から時間を経て積み重ねられてきた建物の配置と19世紀に計画された庭との関係は、新旧時間の中でその時代ごとにそれぞれ計画していくことの意味を教えてくれる。保存ということだけでない、もう一つのベクトルも重要なのである。





2010/09/23

アントワープ

アントワープ環状線のプロジェクト。去年ここにも少し書いたが、橋梁案への対案として生まれたトンネル案。住民投票を経て、最終的な判断は、トンネル案に決まった。コンペで決まった橋梁案だったが、その計画のひとまわり外側にトンネルを通すという対案が持ち上がって、昨年から議論が行われていた。市の景観を保全するという観点がポイントとなったようだが、計画地は工業港付近であるし、新しいものとの共存をうまくやっている街なだけに、少し残念。
ただ、トンネル案も問題を抱えていないわけではなく、コスト面でのデメリットがある模様。対案を紹介したPR活動では、コスト面は問題ないと書かれていたが、非常に漠然としたもので、今後ここが問題になっていきそうだ。いつものことだが、巨大なプロジェクトは政治的なにおいがする。

そういえば、先日勝ったzwolleの案。

2010/09/22

イスタンブール

展覧会shaping forcesの巡回展が、イスタンブールデザインウィークの中で行われる。1週間のイベントだが、使われなくなった橋の上で行われるデザインイベントでロケーションがなかなかユニーク。まだ最近始まったばかりのようだが、年々規模が大きくなっているようだ。月曜日に展示物の搬送を行い、今週末に施工にかかる。デザインイベントの中で、橋、構造デザインの展覧会が行える環境は興味深い。ヨーロッパの紙幣やユーロをみても、橋が図柄になっていることが少なくない。橋というのは特別な存在のひとつなのだ。

2010/09/14

zwolle 勝利

昨日の提出、プレゼンだったzwolleの歩道橋コンペ。翌日の今日夕方、結果の電話連絡があった。今年3つ目のコンペ勝利。今のところ今年は4戦3勝1結果待ち。

2010/09/13

コンペ

zwolleのコンペを無事提出。今回の提案は、条件が厳しい中であるからこそできたかたちとなった。そもそも歩道橋の線形がS字ということがはじめから決まっていて、架設場所も自由度がほとんどなかった。街の歴史や敷地の特性を考慮した上で、素材、大まかなデザインの方向性(ここでは透明性)を決めたあとは、条件と力学に則ってかたちを模索していった結果が最終的な提案となった。非常に軽やかで繊細な2つのアーチが交差するユニークなかたちを提案できた。

力学をベースにすると、ある一定の既知のかたちに収束していくのが通常である。しかし、そこに様々な条件が加わることで、最終的なかたちは独特のものが生まれてくる。既知のかたちに収束しない構造解析の方法もあるが、一方で条件の設定と力学を組み合わせることでその場所特有のかたちを導く方法もある。場所性とはそんなことからも紡ぎだされるのかもしれない。そしてそのプロセスは、力学という自然の法則と、場所の条件が組合わさるがゆえに、共有可能なものになる。

2010/09/05

批判と批評

過去の事例をもとに、新しいチャレンジを批判することは容易である。時間を経て価値を持ったものも、当時は新しいチャレンジであったはずし、価値は定まっていなかったはずだ。安易な批判は誰にでもできる。批判と批評は言葉は似ているが違う気がする。批判はどこかに否定を含んでいるし、先のビジョンの提示がないように思う。批評は、新しい可能性を含んだ評者の考え方の提示のように思う。

あるデザインを論じるには、リアリティある考え方の提示もしくは可能性の提示が必要だ。そうでなくては単なる否定で、そこからは何も生み出されない。

人が使うものや場所をつくる僕らの仕事は、実践を伴うこと、実践を重ねていくことで新しい地平に向かえることがある。熊本の石橋も中世のカテドラルもローマの水道橋も実践を積み重ねることで、技術は完成されていった。実践の過程で多くの経験や思考が生まれた。

僕らの仕事はごく普通の人が使う場所、ものをつくる仕事だ。だからこそリアリティが必要だ。実際に肌で体感した経験が、リアリティのある場所やもの、概念を生み出す。人を相手にする仕事である以上、たくさんのものを見たり、たくさんのことを感じたり、多くのものを生み出してきた経験がなければ、多くの人に共感してもらえるものを構想ですることはできないのではないだろうか。

僕らは現実の世界を対象にしている以上、リアリティをともなった概念や仕組みを考えなければいけないように思う。

2010/09/04

college bridge

完成後はじめて、college bridgeをみた。今回は熊本大学の先生をローランと共にご案内。事務所の代表作を見てまわった。想像以上の仕上がりだった。施工の精度も高かったし、ランドスケープの一部を除けば完成度としては非常に高いものだった。どうしても恊働作業の場合、コントロールしきれない部分は出る。それでもここはうまくいっている方だろう。この橋以外にもクノッケ、スタリールの2橋もまわった。

思ったこと。橋は決して眺める対象だけではないということ。ある環境の中にそのかたちが置かれたとき、人に体感的に訴える存在になり得るかも重要だということ。かたちとは思考の結晶なのである。どういう場所をつなぎ、そこからどんな風景が見え、どのように人を渡らせるか、そしてどのように記憶に残る存在になり得るか。かたちをつくる仕事の本質はそこにあるのではないだろうか。

ローランはかたちと力は密接に関わるという。エンジニアは構造解析が職能だと思い、かたちを問題を忘れがちだともいう。エンジニアは力の流れとそのかたちを構想し、与えられた条件の中、環境の中にどう位置づけていくのかが職能なのである。かたちを考える際には、そのものの美しさはもちろんだが、それ以上にそのものがどういう存在として体感されていくのかも重要なのだと思う。そしてそのかたちの思考が明確であればあるほど、共有される可能性がある。

college bridge, knokke footbridgeは、構造的なチャレンジはもちろんであるが、風景のなかで体感され共有されていくことを考えて構想されたものなのだと思う。体感され記憶に残る風景。そこには身体感覚を伴った空間的な思考が存在しているはずである。だからこそ場所を訪れたときに思考の軌跡に思いを馳せることができるのだ。熊本の石工たちの石橋もそうであるように。人の身体スケール(営み)との関わりを忘れたものは、心地よい風景にはならないのである。



2010/08/31

Berlaymont

打ち合わせでEU本部へ。ここでスペイン、ベルギー、ハンガリーの橋の展覧会が開かれる。なぜこの3国なのかは、今年から来年にかけての議長国がスペイン、ベルギー、ハンガリーの順で交代していくからだそう。スペインとハンガリーは歴史的な橋に対し、ベルギーはローランネイの作品を展示することとなっている。

セキュリティが厳しく、普通に中に入れる場所ではないので、貴重な経験。建物内のホールに展示されるのだが、EU本部なのできれいな空間だろうと想像していたら、メインのプレジデントホール以外は、普通の雑然とした空間だった。

これから何回かここにくることになる。




訪問者用のシール

2010/08/30

写真

友人のmomoko japan。ステュディオハンデザインにいた頃、担当した作品をよく撮ってもらっていた。彼女の写真は、とてもグラフィカルでありながら、やわらかいものが多い。ブログの写真を見ていると、とても感情的な写真と整然としたグラフィカルな写真が混在していて、興味深い。

土木構造物も風景も写真に撮ると、ある視点(もしくはフレーム)で切り取られる。見る(もしくは眺める)という対象になる。でもそこに感情的な要素が入ると、撮った人の断片が残る。僕はこのところ土木構造物や風景と身体性の関わりが気になりはじめている。つい数日前書いた空間の話も同様だ。そんなことを考えていたときに、彼女のブログを思い出した。



2010/08/29

ルーヴァン


ルーヴァンの中心部の小さな飲食街に新しくアーケードのような覆いをかける。非常に道幅の狭い通りで構造体もできるだけ通行を妨げないようにしなければならない。しかも古い建物が残る中心部だけあって、通りの建築物への影響を最小限にする配慮も求められる。

まだ始まったばかりで、これからどう屋根をかけていくかを考える。日本にはたくさんアーケードがある。ヨーロッパももちろんあるが、日本の商店街といったらアーケードのイメージが頭に浮かぶほど、たくさんある。直接的に参考になるわけではないが、ネットで検索したら恐ろしい数の場所のアーケードが出てきた。半円筒形の屋根をかけているところが多いのはなぜだろうか。

2010/08/28

ベルギーのおすすめ(1)

スーパーで買えるなんでものないものだが、個人的に気に入っているおすすめをご紹介。今回は、ミックスチョコレートペースト、タルティネ。

ホワイトチョコとミルクチョコのミックス。ミックスというのはベルギーで生まれたそう。チョコレートにチョコレートを掛け合わせる甘い物好きの人たちが生み出した一品。ミルクチョコの甘さにホワイトチョコの甘さが加わる。甘さがきつくなるかというとそうではなく、不思議と柔らかい甘さになる。

事務所の人に聞くと、チョコレートペーストは。朝の食卓には欠かせないものだそう。チョコレート専門店のものもおいしいが、スーパーで売っている普通のものが手軽でおすすめ。

2010/08/27

zwolle (2)

ブリュッセル7時19分発インターシティでロッテルダムへ向かう。
鉄道が時間通りに動いていなく、途中低速運転になったりで、予定より30分ほど遅れてロッテルダムに到着。ロッテルダムセントラル駅はちょうど新駅舎の工事真っ最中。サンドイッチを買って、ユトレヒト方面への電車に乗り換え2時間、zwolleに到着。片道だけで4時間。。おまけに真冬のような寒さに加え、雨まで降っている。よく考えればオランダ北部に位置する街だからブリュッセルより寒いのは当然だが、この日は特に寒かった。



雨がひどかったので、カフェで休憩。簡単に今回のデザインの方向性をローランと話す。

今回歩道橋をかける予定地は、歴史的に重要な入り江の一つ。ちょうどその場所にかけることになるので、反対意見も多いようだ。小さな街だが、河川に中にある中心市街は、レンガを使った趣ある街並であるため、保存していこうとする住民の関心も高い。今回の架設予定地は、街のメインの通りと新しい住宅予定地をつなぐものだ。市としては、住宅地の利便性や街としての発展のために、ここに歩道橋を建設したい様子。また、架設場所は限定されており、しかも周囲の既存の構造物などからの制約でかなり厳しい条件である。架設場所を少し変えることでもう少しいい方法があるのだが、それは許されていない。歴史的な街並に対して配慮と同時に、厳しい条件の中でどういった提案をするのかがガキとなる。







2時間ほど周囲をまわって、遅めの昼食。ニシンの塩漬けマティエス。刻んだタマネギと一緒に食べる。これが生臭くなく、非常においしい。初夏から漁が始まり、冬に向けての保存食として昔からつくられているそう。保存が利くため、周辺の国への売り歩くことで厳しい冬の中での重要な収入源であったようだ。

戻りの時間もあるため、この後中心市街を少し散策して、ブリュッセルへ。zwolle駅駅舎の屋根は、19世紀の構造体を1995年に改修したもの。小さいながら円筒形のホームの屋根は、非常にシンプルで心地いい。ポリカーボネートの開口部から柔らかく光が差し込む。一部もう少しうまくやれたのではないかという部分はあるものの、古いものを使っていこうとする姿勢を感じる街だった。



ブリュッセルへは18時過ぎに到着。自宅に戻ってから、事務所の同僚フィリップと食事。21時過ぎからブリュッセル郊外のケニー(事務所の同僚)の誕生日パーティーへ。少し飲み過ぎて1時に帰宅。

2010/08/26

Zwolle

明日は、ローランと共にオランダのZwolleへコンペの敷地を見に行く。ブリュッセルからは鉄道で3時間ほど。遠いので早朝出発予定。6時45分に自宅まで車で来てもらい、セントラル駅に向かいインターシティに乗る。Zwolleは街の周囲を川で囲まれた要塞都市。小さな街ながらグーグルマップで見るとなかなか面白い形をしている。コンペの対象は、中心部へ向かう120mほどの歩道橋。

2010/08/25

夏休み


熊本城。何度みてもすばらしい城壁の石積み。築き上げた人々の意思が、”かたち”としてしっかりと存在している。城というのは、天守閣や櫓などの建築物と、堀や土塁、城壁などの土木的なものからできている。僕自身が魅せられるのは、支えとなり基礎となっている城壁部分。しかもその存在感が他の部分を圧倒している熊本城は、何度訪れても飽きない場所なのだ。土木は、”かたち”ということ、空間ということをもっと考えないといけないと思う。



2010/08/24

メモ

ふと思ったことのメモ書き。

土木で景観と言った際に、よく耳にする言葉がある。視点場、つまりビューポイントという言葉。ある風景が美しく見える場所であったり、最もその風景を楽しめるポイントという意味である。土木構造物は、風景の中におかれた時に、遠景から眺めるものという考えがここにはあると思う。確かに立体物としての土木は、ダムや橋梁、山間部の土留めなど遠くから眺める可能性が高いものも多い。また立体物ではないものとしての公園や道路なども、面的なものが対象なので、人の視界を意識しながらデザインするからということもあるのだと思う。

視点を意識することが重要になると、当たり前だが、見え方が重要になると思う。その結果、風景に馴染む、風景にとけ込む、調和する、異物となる、調和しないということが大きな評価軸となる。街路や河川などの”かたち”になりにくい対象であっても、橋梁やダムなどの構造体として”かたち”が強く存在する対象であっても、見え方という思考が根底にあると、周囲の風景とのバランスが大きな要素になる。これは重要な視点だと思う。

ただ、もう一つ、空間という言葉を考えてみる必要があると思ったのだ。土木は建築のように何かを包み込むような空間の有り様は少ない。でも、都市内の広場や街路は建物などの構造物以外の残った場所とみると、土木の空間は、図と地でいった地としての、つまりVoidとしてあるし、自然の中に何かをつくると言った場合にも、自然の風景という3次元の空間の中に、人の営みを支えるものを挿入していくことになる。

ヨーロッパで週末、広場や公園に行くと、人の営みとしての空間を感じる。人が集まったり、寝転がったり、食事したり、会話したり、行為のための空間になっている。行為のための領域が生き生きと緩やかに変化している。直接的な”かたち”をもった空間ではないが、営みのかたちとして空間として感じることができる。これらを支えるために、ちょっとした構造物やしつらえがなされている。

橋梁などのかたちをもった構造物も、空間を意識すると橋の桁下や橋上の空間の広がり、3次元の中で線形をどう決めるかなどたくさんの人の行為に関係した考えるべき問題が出てくる。

大事なのは、空間を考えることが人の行為につながってくるということ。空間を考えるときに人は、身体のスケール感が基準になるからだ。土木における空間という概念をもっと考えることで、いまよりもっと多様な評価軸が生まれる気がしている。

2010/08/23

ブリュッセル

夏休みが終わり、ブリュッセルに戻って1週間。バカンスから徐々に人が戻ってきて、事務所も少しずつ通常の状態に戻りつつある。とはいえ本格的に仕事に入るのは、9月に入ってからだろう。

もうブリュッセルは秋が近づいているのを感じる。寒い日は地下鉄やトラムで暖房がかかっている。あっという間に時間が過ぎていく。そして、11月にはまた日本だ。東京、京都、福岡と3カ所をまわる。

来週EU本部に打ち合わせで行くことになっている。IDカードを申請してつくってもらわないと入れないようだ。こんな機会は滅多にないので楽しみ。

2010/08/02

東京

しばらくぶりの東京。いろいろなことを思った。その中のひとつはプロセスの共有ということ。これは日本に限ったことではないが、特に今の日本を考えると必須のことだと思う。ヨーロッパで仕事をしていると、プロセスの共有は当然のことのように存在し、また言語的にも明快に筋道を説明していかないと何も伝わらない。一方でデザインは、説明できない何かが人を惹き付けることがある。共有の仕方には2つの方向があるのだと思う。プロセスの共有ということは、僕の今いるNey&Partnersでも重要なテーマで、プロセス、思考が共有されるからこそ、プロジェクトが成立するのである。このことはもう少し明確に記述できるよう考えていこうと思う。

2010/07/22

ルーヴァン

今日は朝からルーヴァンへ敷地の写真を撮りに。コンパクトで心地よい街。ブリュージュほど街の中心部の車の通行を規制していないが、歩行者優先がブリュッセルより浸透していて、どの車も非常にゆっくり走る。中心部のカフェでは週末たくさんのイベントやライブがあり、学生の街で治安もいいため、安心して過ごせるそう。大学と街との連動した街のつくりかたに特徴があるようで、次回またゆっくり来ようと思う。今日は写真を撮って、そのまま事務所に戻る。

そしてフランスのコンペの印刷を済ませたら、明日から3週間ほど夏休み。仕事関係とプライベートと予定が盛りだくさんだが、後半2週間はゆっくりできそう。今日は早めに帰って荷物をパッキングしないと。

2010/07/17

ルクセンブルク

展覧会「shaping forces」巡回展の打ち合わせでルクセンブルクへ。場所はルクセンブルク建築協会。会場となる空間は、元々工場であったところを改修したもので、なかなかいい空間。正方形に近い空間は使いやすそう。窓が多いが、逆に大きな模型を彫刻のように展示するこの展覧会には自然光が入ってちょうどいい。壁が少ない分、展示パネルは天井から吊る形を考えている。会場をざっくり見て、必要そうな場所の寸法を測ってから、予算、輸送、協賛などについて細かく打ち合わせる。

ルクセンブルクは小さな国ではあるが、担当者は予算が少ないといっていたが、世界でもっとも裕福な国だけあって、僕からすると十分にあると思う。ルクセンブルク建築協会の運営には、銀行、建設会社、行政などが常にスポンサーとしてついているため、まだそれほど建築家も多くないこの小さな街でも成り立っているのだ。日本との関係もあるようで、過去に日本の建築展を開催したこともあるようだ。

打ち合わせ後、担当者とbozarのイワンと3人で夕食をとり、3時間かけてブリュッセルへ戻る。展覧会が巡回していくたびに、様々な人に会えるのが楽しい。

2010/07/08

ベルギーのお土産


フランスのスーパー、カールフールが家のすぐ近くにあるのですが、オリジナルの食材やビールがなかなか優秀。お気に入りをいくつかあげると、トマトジュース、クリーク(チェリービール)、チョコワッフル、ラザニア、パウンドケーキ、ポテトチップスなどなど。トマトジュースはとろっとして濃厚。最近はヒューガルテンをトマトジュースで割って、レッドアイのようにして飲んでいる。これがさっぱりしていける。ワッフルはいろいろ試したけど、焼きたて以外ではこれが一番優秀だと思う。ビールにワッフル、ポテト、どれもベルギーの名産品。身近なところに手頃な感じであるのがいい。

もうすぐ夏休み。たくさんの人に会う予定。
そして楽しみなことが待っている。

2010/07/06

コンペ、シンプルということ、統合

アムステルダムの歩道橋コンペ。今日結果が出て勝利。今回はプレゼン資料をつくっている時から勝てそうな予感はあった。ちょうど人工島アイブルグに建設されるクラウスエンカーンの建築の隣にできる。建築的な提案を求めていたコンペだし、オランダらしくクライアントとして求めていることが募集要項に明記されていた。提案の内容としても、基本的な図面(配置図、立面図、横断面程度)、簡易的な構造解析以外はほぼ自由。求められた要求に対してどう答えたのか、その考え方が問われるわけだ。細かな法規的なことや構造計算などよりも、どう考えたかを競い合う。

クライアントとしての要求は、シンプルな橋、建築的な価値を持つこと、経済性、メンテナンスの4つ。いつものようにかたちをどう導き出したかというストーリーにのせ、プレゼンを行った。かたちは力学的特性(曲げモーメント分布)から導き出されたものであると同時に、鳥が海面を羽ばたくイメージや海の波のイメージが統合されたものになっている。横断面のシークエンスを見ると鳥が羽ばたくような形状をしているのだ。立面的には、厚さ30mmの一枚のスチールシートがゆったりと波のようなカーブで連続し、海の上に浮かぶことになる。スパン割は約20mピッチで施工性、コストと同時に力学的な観点からも非常に合理的なものになっている。また、床版や桁といった区分がなくスチールの板一枚が橋脚の上にのるだけなのでメンテナンスも容易だし、施工性やコストの観点からも利点がある。すべての要素が不可分に結びついている。このことがこの事務所の提案の最大の特徴なのだ。

今年の初旬に勝ったブリュージュのコンペに続き、この橋もこれまでの作品に比べるとシンプルで控えめなかたちである。ただしただシンプルで控え目ではヨーロッパでは勝てない。たとえコンペでシンプルな提案を求めていても、どこかに独特の人を惹きつける魅力、もしくは議論できる内容を持つことが重要なのだ。

今取り組んでいるフランスのコンペも同様に自然との親和性を求めている。このところそういう内容の提案が多い。シンプルでありながら同時にという一見すると相反するような命題は、僕にとって非常に興味深い。きっとそういった中から新しいものが生まれてくる気がしている。

写真は内容とは関係ないが、ケブランリーのパトリックブランの壁面緑化。アートと建築の融合が自然体な感じがして、ジャンヌーベルの建築はやっぱりいいと思った。6月初旬の休暇中の写真をブログに載せようと思ったら、パリの建築的な写真はこれだけ。でも今回のパリは過去4回の中で一番楽しかった。


2010/07/04

6月30日から地下鉄に自動改札が導入された。ヨーロッパの駅は改札がないことが多い。つまり街と駅構内が連続する。ホームと構内、ホームと街との間の壁を設ける必要がない。
自動改札が導入されてから、あちこちにバリアができた。透明のガラスなのだが急に窮屈になった気がした。壁一枚、バリア一枚、空間の感じられ方はちょっとしたことで変化する。同時に人の行動へも影響する。昨年夏訪れたチューリッヒの中央駅はそういった意味では非常に開放的ですばらしい空間だった。構内でレゲエライブが行われ、使い方と空間ともに、街とホーム・構内は連続している。開口やボリューム、レベル差、あるかたちによって生み出される空間の有り様があるのだと思う。そういう意味でもform=かたちは重要なのだと思う。


かたちの話といえば、6月初旬にパリでいったバカラ美術館。これがよかった。おそらく僕ひとりでは来なかっただろう。非常に繊細で、それぞれの時代が反映された様々なかたちを楽しめる。ここでいうかたちは、空間的なものとは少々異なるが、時代や思考を反映する。そしてここで思ったことは装飾というもう一つのかたちの在り方。様々な意味や価値観、思いが込められている。人はそういうものに惹きつけられるのだと思う。


2010/07/02

7月


あっという間に7月。今月末には夏休みで日本に行く予定。いろいろやらなければいけないことがあるが、基本的にはゆっくり過ごすつもり。展覧会も先日無事終了し、今はアムステルダム、南仏の街フレジュスのコンペに取り組んでいる。締め切りはちょうどバカンス直前。ちょうどいいタイミング。展覧会は大好評のうちに終了。早くも世界中から巡回展のオファーがある。日本でも開催できたらと考えているが、どうプレゼンテーションするかが鍵となる気がしている。

写真はゲントの魚市場のモニュメント。6月初旬にA+編集長ステファンの案内でゲントを巡った時に撮ったもの。この日は暑かったー。

2010/07/01

MAC

2週間前にMacbookproの画面が突然映らなくなった。とりあえずベルギーの正規代理店で修理を依頼。なんとおおよそ2週間かかるとのこと。まあゆっくりとしたこの国なら当然あり得る。7、8月はバカンスシーズンで1ヶ月かかることもあるそうだ。

今回で2度目の修理、しかも2度目のロジックボード交換。昨日無事戻ってきたと思いきや、内蔵isightを認識しなくなっていた。さらにDVDも焼けなくなっていた。。。。とりあえず夏に日本に戻るのでそのときに、アップルストアに持っていこうと思う。ここでは限界がありそうだ。せっかく今回はMacなしで身軽に日本に行こうと思ったのに。。。

世界は一長一短。こういうときに日本の対応と技術力の良さを痛感する。まあ、こっちは、こころにくい対応に、心地よくさせられることがあるのだが。重要視しているポイントや習慣の違いは大きい。

滞っていたブログ更新を再開しようと思う。





2010/06/11

週末

今週末はロンドンへ歌舞伎を見に行く。他には前から気になっていたデビットアジャイの建築をいくつか見ようと思っている。特に彼の公共建築が気になる。僕はオブジェのような有り様の建築はどうも気になるようだ。今週Bozarで講演があってチケットをもらっていたが、行きそびれた。後はselfridgeによって買い物をし、ロンドン塔など観光を少し。

2010/05/29

休暇

今日から10日間の休暇。ブリュッセル、ゲント、アントワープ、パリをゆっくりとまわる。
明日は展覧会を見て、屋外でジャズを聞けたらいいと思っている。

2010/05/28

過去の作品

今回案内したネイ事務所の作品はクノッケとテルビューレン、HVVの3つの歩道橋。テルビューレン通りの歩道橋は初期の作品で、橋のプロジェクトが増え出すきっかけとなった作品。HVVはこれも初期の作品で、ディテール部分にローランの思考が垣間見られる。初期の作品を見ると、後々の重要な思考の断片が見られるのでなかなかおもしろい。特にHVVは、さほど構造的に特徴は無いが、階段のささら部分が通常に比べ高くなっていて、後の手摺りと構造部材が一体になっていくスタリールの開閉橋や、桁と床版の位置関係をデザインしていくことで経済性を確保していくテムズ橋などの思考との類似性を感じる。






クノッケ海岸。もうすぐ人であふれかえる。

2010/05/27

仕事

今週は小さなコンペ。給水塔のデザイン。3案提出できるという形式。外部の建築家も含めてブレインストーミング。タンク部分が浮いたような構造的な案、コスト重視の案、建築的な案の3つの方向で提案することに。僕の案は建築的な解決案。形状的にはシンプルだが、スケール感のコントロールと質感によって、ちょっと変わった給水塔になっている。展望スペースが要項に入っていたため、遠景からもヒューマンスケールを感じられる工夫をしている。
金曜日に仕上げて、その後春の休暇に入る。

2010/05/26

今週

今週も日本からの来客。今回はブリュッセル市内を日曜、月曜でご案内。もちろん展覧会もじっくり解説を加えながら案内した。両日快晴。屋外のテラスでの食事や路地のテーブルに座っての食事。ゆっくりとした休日の時間を楽しんだ。ヨーロッパの街は、公共空間と私的空間が緩やかに連続している。街路は人が通行する場所でもあるが、立ち止まったり食事をしたり、音楽を聴いたりする場所ですらあったりするのだ。そこには特段大げさなしつらえは無い。ゆっくりとした時間を楽しむという行為が、この空間を生み出している。
新しい建築やデザインを見ることも大切だが、同じようにこういった空間(というより時間感覚の方がいいかもしれない)を体感しておくことも重要なのだと思う。人が心地よく快適な場所(空間)や出来事(コンテンツ)を用意する仕事をしている人間として。

2010/05/25

巡回展

ローランネイ展覧会「shaping forces」。好評なようです。早くも3カ所から巡回展の打診があった。ベルギー国内、イスタンブール、香港です。アメリカも可能性が高い。
少なくともアジアでは日本で最初に実現させたい。


2010/05/19

先週から今週にかけて

金曜日ルクセンブルクへ。この日はルクセンブルク方面のみ鉄道のストがあり、通常より1時間半も遅れた。朝5時に家を出たのに着いたのは10時。移民局は平日9時から11時までしか開いていないため、急いで向かう。到着すると小さな部屋に30人ほどの申請する人たちが待っていた。僕は申請ではないので、ものの10分で終了。パスポートにスタンプをもらう。

土曜日、熊本大学星野研究室の方々を空港までお迎えに。先生と5名の学生さんたち。はるばる展覧会とNey作品を見に来てくれた。ホテルまで案内して、その後グランプラスのカフェで一杯。長旅で疲れている様子。明日からの予定を話して帰宅。

日曜日、朝市を見ようとホテル近くの広場に案内するが、この日は珍しくやっていなかった。朝食をパン屋さんで食べる。パンの盛り合わせをそれぞれ注文。クロワッサンを勧めるのを忘れてしまった。ここのクロワッサンは本当においしいのである。その後リエージュへ移動。カラトラバ、ロスラブグローブ、グレイシュなどいくつかの有名な作品を見る。Ney事務所の作品との比較という意味では面白いと思う。カラトラバとロスラブグローブは3次元の大架構の空間で、それぞれ設計手法が異なるため、ディテールや空間の印象などの比較ができる。カラトラバのリエージュ駅は一見複雑そうに見えて、基本的には単純な幾何形状の繰り返し。異常なまでに反復をすることで強烈な印象になるのだが。個人的には初期の作品のほうがバランスがいい気がしている。ロスラブグローブは、この事務所と同じくライノセロス等のソフトを使いながら、有機的な3次元局面で流れるような空間を創っている。しかし、細部をみると接合部はなったなりに納めており、極端に複雑になっている。これは設計過程で基準となる局面に沿わせた線にそのまま標準断面を適応して施工したためである。遠景からは美しいが、細部はもう少し丁寧に扱ってもよかったと思う。3次元の自由曲面を扱う際に、細部を丁寧に収めることは非常に難しい。プライオリに特定の理想的な形態をもってきた後に、構造解析、施工性などの検討を行う通常の設計プロセスでは、この部分は非常に困難になる。スタート時から意匠、構造、施工がパラレルに進行するプロセスをとる必要があるのだ。ルネグレイシュの斜張橋はシンプルで美しかった。新しさは感じないが堅実にしっかりと存在している感じ。ケーブルの納まりが特に美しい。ブリュッセルに戻り公園を散策した後食事。

月曜日、レンタカーでNey事務所の作品を3つほど。一つ一つを解説しながらまわる。Temse、Stalhille、knokke。帰りがけにブリュージュにも立ち寄る。市内を観光して夕食。ここが美味しかった。
ブリュッセルに戻るともう12時近く。皆それぞれ疲れているようだった。到着してこれだけ広範囲にいろいろ見ると結構ハードなスケジュール。でもたくさんのことを感じられたのではないかとも思う。

火曜日、講演会の日。僕は夕方まで事務所に。熊大チームは市内観光や買い物などそれぞれ楽しんだ様子。夕方事務所見学。講演会がフランス語、オランダ語のため、内容を僕の方から少し解説をして、事務所の様子を見てもらう。これから社会に出ていくうえで、たくさんの可能性を見ることは大事だと思う。その一つとして感じてもらえたら僕もうれしい。講演会後、会食。ベルギーの建築界、役所の要人などの集まる感じで僕もちょっと緊張。あっという間の4日間。楽しんでもらえただろうか。

東京の学生と比べると非常に素直で真面目な感じがした。いろいろ聞いていくと、デザインを仕事にするには、熊本からはハンデがあるような話もしていた。確かに情報量は少ないし、人との出会いという意味でもチャンスは少ないのかもしれない。でも僕の場合も大学は東京ではない。それに昨年熊本でのローランネイ講演会に始まり、こうしてベルギーとの交流が続いている。このことは非常に大きいと思う。きっとこれを続けていくことで、熊本の学生彼らにとってのチャンスを広げてあげられるのではないかとも感じた。なぜなら日本の学生の中で最もこの事務所との関係をもっているのが彼らなのだから。熊本は僕にとって縁のある場所。いろいろ考えていこうと思っている。

今回の展覧会、多くの人と知り合えた。そしてまだたくさんの人がここに来る。

2010/05/08

休日


日常の買い物、掃除、洗濯。ゆったりした休日。
来週は祝日もあり、ルクセンブルクにも行かなければならないので仕事は3日しかできない。仕事は、スタジアムの設計とコンペ用のプレゼン資料、18日の講演会の準備といった内容。さほど忙しい感じではないが、細かい作業が多い。今回のコンペは日本で言うプロポーザルのような形式。図面、パースは一切描けない。実績と言葉によるアイデアの説明、コストがポイントだが、僅差になる予想なので資料の見栄えも重要。こういった場合、僕は主にグラフィック的な部分を担当する。スタジアムは接合部のディテールのスタディ。

そういえば、今パリのカルティエ財団でビートたけしの展覧会をやっている。図録を見たら良かったので購入。帰りにビンテージのシャンパンも。これは来月飲もうと思う。


2010/05/06

wonderful night!

と書いて、思わずfatboy slimの同名の曲をかけてしまった。

今夜はとても楽しい夜。日本からの来客とブリュージュからの来客でした。僕はここにいることで日本とベルギーと双方で新しい関係が生まれていくのが嬉しい。ここにきて2年、事務所内部はもちろん、外部ともたくさんの関係が生まれてきている。プライベートでの大切な出会いも。

展覧会をご案内して、会食。新谷さんとバーテン夫妻、息子のサイモン君。フラマン語(オランダ語とほぼ同じ)はさすがに僕もほとんどわからない。会話はフラマン語と英語が入り交じる。日本人だからだろうか、毎回こういったケースで日本人がいたとしても日本語を使うのを躊躇してしまう。しかも英語の頭に切り換えると思考の肝心な部分が抜けることが多い。英語はほぼ仕事上でも不自由なく使えるようにはなったとはいえ、日本語で話すのとは全く違う。

東京で8年働き、ローランネイという衝撃的な出会い(Footbridge Knokke)で勢いでベルギーにきた。英語すらままならないし、ましてやフランス語、オランダ語などもってのほか。言葉のことなど考えるより先に、とにかくここで働くことしか考えていなかった。日本の土木もしくは都市空間におけるデザインの現状を考えた時、必要だと思った。ヨーロッパには他にも橋梁の設計を行っている優秀な構造事務所はあるのはもちろん知っていた。でも僕の中ではNey&Partnersしかなかった。明らかに他とは違ったものがここにはあると感じたからだ。実際働いてみて、その特徴ははっきりしてきている。knokkeやNijmegenのように非常に彫刻的なかたちが、すべてのバランスの中で合理的な最適解として解かれた結果であるということ。つまりかたちは説明可能で無駄がないのである。そしてそれはかたちとして力強く印象的かつ独創的なのである。軽快でスレンダーな橋や彫刻的な橋はもちろん他にもたくさんある。ただ非常に合理的につくられたスレンダーな橋はどこか既視感があるし、彫刻的な橋は意匠的な側面が大半を決定していることが多い。合理性と意匠性の両立はそう簡単ではないのだ。これを可能にするプロセスが今の環境には備わっている。最終的なアウトプットだけでなく、そのデザインプロセスをみていく時、もっともユニークな点が見えてくるのだ。

まだ日本ではその存在を十分に知られてはいない。僕がここで体感していることを伝えていけたらと思っている。土木の既存の世界との接点の少ない僕にはおそらく容易なことではないが、これからをつくる土木の学生達には刺激的なものになると思う。少なくとも既存の枠にはないものが世界にはたくさんあることは理解してもらえると思う。展覧会の作業が終わり、新しい仕事に入っているが、このことを考え始めている。今日も合間の時間でローランとこの件について話し、魅力的な提案をもらった。実現に向けて、いろいろな人に相談してみようと思う。

今月はたくさんの日本からの来客がある。展覧会をはるばる見に来てくれる人には本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。



2010/05/05

夕日

21時30分。ようやく日が暮れる。4月から快晴の日が多く暖かい。
僕の寝室からは毎日違った表情のおおきな空が見え、ゆっくりと夕暮れの時間が過ぎていくのを楽しめる。初夏のブリュッセルは時間がゆったりと流れる。5月、6月と働いて、7月、8月はもうバカンスシーズン。ここではすべての時間はゆっくり、決して加速しない。街の広場には常に人が集まって会話や食事を楽しんでいる。

ベルギーはデザインのとびきり優れた国ではないが、他にはないユニークなものが突然変異のように生まれる場所なのだと思っている。多言語国家であることも影響しているのだと思うが、世界の情報の流れから一歩距離があるゆったりとした時間感覚のせいもあるのではないかと思う。東京に住んでいた頃はもっと多くの情報に囲まれていたから、ここの流れは超スローなのだが、そのことによって周囲の自然の変化に敏感になる気がする。と同時にじっくり思考する時間も生まれる。

2010/05/03

更新


今日、更新の申請していた長期滞在許可が下りた。一度許可が出ると、こんなにも簡単にというくらいあっさり。やはり最初の取得は困難だが、その後の更新はよほどの問題がない限りスムーズにいくようだ。後はパスポートにスタンプをもらって、住民登録している役所に届けを出せば完了だ。今度は2012年4月まで更新の必要がない。

2010/05/02

空間

空間という言葉は難しい。抽象的で様々な意味を含んでいる。僕たちはよく使う言葉だが、一般的に共有されている言葉ではない。僕なりに考えると、ひとかたまりの空気をつくりだす場所、もっとわかりやすく言うと、人が集まってつくり出されている場所ということになるのだろうか。もちろんこれは、僕が対象とするものが屋外のパブリックスペースであることが多いことが大きく影響している。空間は、常に行為というかコンテンツと対になっていて欲しいのだと思う。ある休日のスナップ。ふとある人にメールをしようと撮ったものだが、この写真をながめていて思った。ここには空間が写っている。広場とか出店とか直接的な形態ではなく、空気感として、状態として空間が写っているように感じた。

2010/04/30

Jan van son


アトリエを訪問。オランダでグラフィックを学んだ後、ロンドンのBanks and Milesで働き、1990年頃から独立してブリュッセルで自分の仕事を始めたそう。Banks and Milesといえば、ロンドンの地下鉄サインの書体New Johnstonでも有名だし、郵便局や電話局などのVIも手掛けている。グラフィックの王道で経験を積んできた人である。僕よりも20歳以上年配だが、非常に気さくな気持ちの良い人。忙しい仕事の合間で時間を作ってくれた。

1時間ほど過去の仕事を見せてもらいながら、書体についての基本的なことを教えてもらう。欧文書体の成り立ち、かたちの由来などを丁寧に説明してくれた。かたちにはそれぞれの時代の技術が関係しているし、デザイン自体にもそれらは影響をする。僕はちょうどマックが気軽にデザインの仕事で使えるようになった初めの世代だと思う。文字のデザインもfontに触れることが最初だった。モニターの前で文字を並べて、単純にかたちの好みで選んでデザインしていた。その頃は欧文はヘルベチカを多く使っていた。それから10年が経ち、様々な書体を使ってみたし、自分なりに勉強もした。今思うのは、デザインする上で、マックは僕には絶対に必要だが、そこから離れたところにある背景や歴史をもっと知ろうと思っている。そうでないと、見栄えはいいが、スタイルだけのデザインになる気がしている。表には見えないが、背景として存在する部分にデザインの本質はある。

イギリス、オランダ、スイス、ドイツ。グラフィックデザインのすばらしい国に囲まれている環境にいるうちに、もっとたくさんのことを知りたいと思う。またJanさんの事務所におじゃましようと思っている。僕はグラフィックデザイナーではないが、空白を見ていく感覚と、ボイドを空間としてみていく感覚は僕の中では同種のものなのだ。だからこそ僕が平面も扱っていけるのだと思う。デザインする上で平面と立体は異なる部分も多いが、近い部分も多くある。

2010/04/28

専門的?


展覧会の会場の構成と共にグラフィックデザインを担当した。ローランネイ展覧会Shaping forcesは、ベルギーで一番最初に実現した僕が関わった仕事だ。内容は専門的である。だが、巨大な模型(そういえば、もはや模型ではなく小さな橋といっていた人がいた)と写真を大きく扱うことで、子どもでも楽しめるように考えてデザインした。一般の人が多く訪れる美術館なので、見せ方には気を使ったつもりだ。

橋のデザイン、構造体のデザイン。構造エンジニアとしてどのようにかたちを導き出すのかという問いへの答え。ここにこの展覧会の主眼は置かれているので、確かに専門的な内容ではある。でも僕は、時に専門的に思われていることが専門家よりも一般の人にダイレクトにつながる回路があることを知っている。見て美しいと思うこと、魅力的だと感じることは説明がいらないし、先入観がない方がより直接的に感じ取ることが出来るからだ。

どの大きさで写真を見せるか、どの写真を選ぶか、より感覚的に伝わる展示素材はなにか、言葉の選び方、フレーズの選び方といった基本的なことをしっかり押さえた時、専門的な内容だと思われていたものが、急に間口が広く開かれるのだと信じている。(実はこれらの基本的なことが本当に難しいのだ。)

この展覧会は、グラフィック的な(玄人的な)配慮、構造もしくは建築的な内容の充実、直感で誰もが感じられる要素という、3つのレイヤーで捉えてデザインしている。

幸いグラフィック的な配慮はパーティーでグラフィックデザイナー、編集関係の方々に褒めていただけたし、建築的な内容に関しては専門の領域なので問題ないのでないかと思っている。後は直感で誰もが楽しめるかどうかという点がどうかである。これからいろいろな人の意見を聞いてみようと思う。

そういえば今週金曜日にはA+の紙面のレイアウトを手掛けるグラフィックデザイナーさんの事務所に、欧文書体の扱い方に関して話を聞きに行く予定。文字の組み方をどのように考えているかを話すのは本当に楽しい。後日ここにもその様子を書くつもりだ。



2010/04/25

週末

金曜日、ドリスバンノッテンのストックセールへいくためアントワープへ。電車で30分、気軽にこれる距離。会場は港湾部の倉庫。早く着きすぎたためまだ始まっていなかった。中心市街に戻ってモード美術館へ。今開催中の展示はブラックファッション。ファッションにおける黒の意味を探る展覧会。

これまでアントワープはもう4,5回訪れているが、港湾地区から中心部へのルートは今回が初めて。おもしろかったのが通りによって街の表情が異なっていたこと。18世紀ー19世紀初頭の石造りもしくはアールヌーボー調の装飾豊かな通りと20世紀の大量生産によってつくられた荒っぽい雰囲気の建物が並ぶ通りが入り交じっている。通るルートによって街の感じられ方が全く異なるのだ。アントワープの街の面白さはこういった部分にもあると思う。様々な要素が入り交じりながらも、新しいものへの関心が常に街の中で感じられる。もちろん規模から考えれば大都市ほどの情報量はないが、独特の雰囲気を持ったものがちらほらある。毎回訪ねるたびに少しずつだがおもしろい場所が見つかる。

モード美術館と街を散策しつつ、港湾地区へ戻る。ちょうどストックセールの会場は、新しいノイトリングの美術館の前だった。美術館は、この日オープニングだったようで関係者らしき人々がつめかけていた。ノイトリングの建築はオランダでたくさん見ていたが、やはりいい。この美術館も他の建築同様、建築としての存在感があり、どこかポップで身近に感じられる。わかりやすいのだ。最先端の新しさというのではないが、独特のボリューム感と色彩、そしてわかりやすいデザインが見ていて心地いい。この美術館の意匠も、アントワープということで手の形をした金物がファサードの大判タイルの装飾に使われている。わかりやすさと独特の形をしたボリュームによって、記憶にしっかりと残るし、瞬時にデザインが理解されるのだと思う。一般のオープニングはもう少し先のようだが、オープンしたら内部をみに行こうと思う。

ストックセールもいいものが見つかったが、何よりこの美術館が良かった。





2010/04/22

オープニング


とうとう展覧会のオープニング。ベルギーの建築家やデザイナーなど、たくさんの人が詰めかけていた。僕には、あまりどんな人が来ているのかわからなかったが、どうもこの国を代表する人たちが多く来ていた模様。開始は18時半だが、人が集まりだしたのは19時過ぎ。こういうパーティではだいたい予定時間の30分後くらいからぼちぼち始まる感じ。日本とはだいぶ時間感覚が異なる。

パーティの挨拶で僕も紹介してもらったので、ボスのスピーチ後に多くの人が話しかけてきてくれて、非常にいい機会だった。パーティ後に主催者と数名で夕食に行ったが、その際にA+のグラフィックデザイナーも同席していて、興味深い話がたくさん出来た。展示のレイアウトも気にいいってくれたよう。後日事務所を訪ねて欧米圏の文字の扱いについて話を聞く予定。

10ヶ月間かかったが、ようやく完成。明日は休暇を取って、月曜からまた新しい仕事へと入っていく。今回の仕事で編集者、デザイナー、建築家などベルギーのデザインシーンに関係する多くの人と知り合いになれたのは非常に大きいと思っている。6月にはA+の編集長ステファンの案内でゲントを訪れる予定。

展覧会の会場写真は、6月以降にここに載せる予定。


2010/04/18

ラーケン王宮 温室


休日。ベルギー王室の温室庭園を観に行く。これがなかなかすばらしい。天気も良くぽかぽか陽気の中、トラムで10分ほどで到着。この時期2週間ほどしか一般公開されない。
ヴィクトル・オルタの師アルフォンス・バラによる設計。19世紀のアールヌーボー建築。

薄いコバルトグリーンの光に包まれ、熱帯の植物に囲まれながらガラス温室の中を散策。所々にベンチも置かれ、とにかく心地いい空間。大小様々な温室を巡りながら、途中屋外の公園を経て、半地下の空間、そして最後に巨大な円形の温室へと導かれていく豊かなシークエンスを持っている。




この空間の心地よさは、ガラスを透過した薄いコバルトグリーンの光の状態と、それに照らされた植物によってつくり出されているのだと思う。まさしく空間とコンテンツという2つが絶妙のバランスで絡み合っているのだ。19世紀の建築に何か大きなヒントを感じた。おすすめの場所である。





2010/04/16

施工

今日は展示の施工。月曜、火曜と続いて行って水曜日にオープニングになる。仕事の進行は相変わらずゆっくり。日本だと考えられないほどのんびりしている。僕の感覚ではこのペースだと何か間違いが起きるともう修正はできない。複雑なことは何もしていないので問題なく終わると思うが、しっかり仕事の開始と終了、そして休憩はきちんと時間通りにとる。日本だと一日で終わってしまう作業が、ここだと3日はかかる。クオリティはというと。。。。

とはいえ、展覧会のもっとも大きな目的は内容をしっかり伝えて知ってもらうことにあると僕は思う。とすると僕は施工に対して少々細かすぎる要求をしているようにも思う。プロの写真も使っているが、アーティスティックというよりはしっかり撮っているという感じの写真だし、特殊なドローイングも今回はない。とするならば、印刷のクオリティや施工の精度よりも、むしろ配置とスケール感、プロポーションに気をつければよいのだと思う。今日はそんなことを考えながら施工に指示を出していた。一般の人たちには、僕が気にするような写真のクオリティよりも、展示室の中での配置や大きさのバランスといった身体感覚で直接感じられる要素の方が重要なのだと思う。一般の人から見れば、写真はもう十分にクオリティを持っているはずなのだから。


施工途中、子ども達が天井からつり下げられた大きな模型を見て、座り込んで眺めていた。こういったことでいいのだと思う。細部の精度ももちろん大事だが、それ以前にコンテンツとして興味深いかどうかの方がきっと重要なのだ。丁寧にスケールを扱って、見せるコンテンツを吟味することが必要なのだ思う。
それにしても平日だというのに美術館は人でいっぱい。中年の夫婦が二人で美術館を訪れているのを多く見かけた。この国はのんびりしているが、こういったところは本当にいいと思う。




2010/04/14

印刷所

今日は朝からパネルの印刷所に確認に。問題となっていた印刷のムラや不具合はなんとか解決方法が見つかった。安心して事務所に戻り、残りの作業を始めていると、今度は印刷機のプログラムの関係で印刷できないデータが発覚。今日は急ぎたい大切な用事が他にもあったので、夕方早めに事務所を出て、再度印刷所へ。自分のPCを持っていって印刷所で修正の作業。すると他にも問題が見つかる。本来白いはずの部分が微かなグレーに。見えないはずの色が出てきてしまっていた。おそらくカラープロファイルの関係かと思われるが、これも原因がわからず。印刷機の調整で対応してもらうことに。印刷して確認してという作業を繰り返してもらう。よく見ないとほとんど気がつかない微妙な色だが、無理を言って調整をしてもらう。こういう部分はすごく気になるのだ。思わぬトラブルに予想以上に時間を取られてしまったので、走って駅まで行く。

夜、家で続きの作業をして明日朝最後の仕上げの作業をする予定